能登半島地震から1日で8カ月たった。石川県能登地方に赴任経験がある記者が8月下旬、災害ボランティアに参加した。破損した家から出たがれきの撤去に取り組んだが、片付けきれず、復興の道のりの長さを感じた。(中川紘希)

◆石川県のボランティアに応募してもいつも満員

 2017〜21年に七尾支局(石川県七尾市)に勤め、友人や知人が被災者になった。「能登のために何かできないか」と考えていた。県がウェブサイトでボランティアを募集すると知ると、すぐに登録した。ただ募集はいつも満員。もやもやした気持ちが募り、能登地方にいる同僚を通じて、同県珠洲市の民間団体「ボラキャンすず」を見つけ、現地でのがれきの撤去を手伝うことになった。

がれき撤去のボランティアに参加する記者=8月、石川県珠洲市三崎町で

 8月18日、北陸新幹線で東京駅から金沢駅へ。レンタカーで中間地点の七尾市まで行きホテルに前泊した。19日午前5時に出発。自動車専用道路「のと里山海道」はほぼ全区間で対面通行が可能になったと聞いていたが、道路の凸凹や迂回(うかい)路が多いまま。徐行しながら、この道を行き来する被災者の苦労を想像した。

◆「最後の最後にボランティアに頼る」能登の人たち

 水野雅男代表(65)から説明を受け、午前の作業を開始。メンバー5人で軽トラックに一輪車を載せ、近くの沢谷わたえさん(73)の家に移動した。  依頼内容は、地震でひび割れた浴室から出たがれきの撤去。沢谷さんの夫が事前に、コンクリートでできた壁や床を細かく砕き自宅裏に積んでいた。鉄製の浴槽も丸太の上を転がし自力で引っ張り出したという。参加者から「能登の人は自分でできることを全部やって最後の最後にボランティアに頼る」と聞かされた。  記者は、がれきを一輪車に載せて軽トラに積み、他のメンバーが処分場まで運んだ。がれきからワイヤが飛び出ていたり地中からムカデが現れたり。持参した軍手と長袖長ズボン、頑丈な登山靴が役に立った。  浴槽は4人がかりで運んだ。だが、作業を終える昼までに、細かい破片までは撤去できなかった。

◆「後は自分で」と言っても、本音をこらえているようにも

 沢谷さんは「後は自分でやれるかな。ありがとう」とぽつり。「全て処分してほしい」という本音をぐっとこらえているようにみえた。  ボランティアがお礼をもらうことはご法度だが、「昼食を作ってしまった」と押し切られ、近くで採れたサザエの炊き込みご飯をいただいた。沢谷さんは「壊れた物がなくなると気持ちがすっきりする。助かった」と話した。能登らしいもてなしと感謝の言葉に申し訳なさが募った。

珠洲市内でも公費解体作業進められるが、手付かずの家屋も多い=8月、石川県珠洲市大谷町で

 仲間にも参加理由を聞いた。中部大2年の岩井颯太さん(20)は「夢は救急救命士。被災地の現場を見たかった」と話す。父親と参加した東京都の八王子市立第六中学1年の鈴木繁道さん(13)は「大変な人がいるから力になれれば」と語った。参加者の温かい気持ちにも触れた。  午後も市内の別の場所でがれきの撤去をし、午後4時ごろに活動終了。キャンプ場で夕食を取り、テントで1泊し、帰途につく前に珠洲市内を車で一周した。  家屋の解体業者は入っているようだが、道路はゆがみ、倒れたままの家も多い。震災直後に見た映像と変わらない。「これが8カ月の景色か」。この街で支援が足りているとは到底思えなかった。

◆「活動ニーズは低下」ボランティア募集を縮小する石川県

 能登半島地震の個人ボランティアについて、石川県は被災地の市や町に代わって受け付けをする仕組みにしている。さらに、県は「活動ニーズが低下してきた」として募集枠を徐々に減らしている。  この枠とは別に、記者のような個人ボランティアを受け入れる民間団体もある。こうした民間団体からは、県の統制が復興の遅れにつながっているという批判が聞こえる。

がれき撤去のため軽トラックから一輪車を運び出そうとするボランティア参加者=8月、石川県珠洲市三崎町で

 1月1日に起きた能登半島地震では当初、能登半島最北部への道路網が寸断され、渋滞が発生。馳浩県知事は5日にX(旧ツイッター)で、救急活動や物資の搬送が滞る懸念を理由に、個人ボランティアを含め「能登への不要不急の移動は控えて」と発信。県は6日に個人ボランティアの募集サイトを開設したが、実際に受け入れが始まったのは27日だった。

◆東日本大震災、熊本地震と比べて初動鈍く

 災害の発生月に市町村の社会福祉協議会(社協)などが置くボランティアセンターでボランティアに参加した人数は、2011年の東日本大震災は6万3858人、16年の熊本地震は2万1196人、18年の西日本豪雨は12万5839人。これに対し、能登半島地震は6098人で、初動の鈍さが浮かぶ。  震災から8カ月たつが、県が市や町の要望に応じて、人手が足りない分野について、サイトで募集する手法が続いている。  募集人数は5月5日の310人がピークで、最近は多い日で100人程度。募集枠は3分の1ほどに減った。県の担当者は「ボランティアの活動ニーズは計画的に消化されている」と記者に説明した。

◆「まだまだ人出不足」縮小に反論するNPO関係者

 ボランティアは本当に役目を終えつつあるのか。  今も支援を続けるNPO法人「日本災害救援ボランティアネットワーク」(兵庫県)の理事長で大阪大の渥美公秀教授(災害社会学)は「まだまだ人手不足だ」と反論する。  「県が管理したことで、災害当初に参加したかった人が出はなをくじかれ、ゴールデンウイークや夏休みも参加者が少なかった。がれき撤去も残っており、能登は復興せず忘れられるのでは」と懸念する。  過去の災害では、ボランティアが現地に行くことで、新たな活動のニーズを見いだしてきたという。例えば、津波で流された写真を所有者に返還したり、古文書を保存したりする取り組みだ。「さまざまな個人や団体が初期から入れていれば、復興に向けた多様な活動が生まれていたはずだ」と述べ、県の一元管理の弊害が続いていると訴えた。

◆「活動ニーズ、見えなくなっただけ」

 「活動ニーズは減っているのではなく見えなくなっただけ」との見方もある。 前出の「ボラキャンすず」で活動する小林啓太さん(34)は「能登には行政にも頼らない控えめな人が多い。会ってから2、3カ月たって家財の運搬を頼まれたこともある」と話す。同団体は、被災者との交流の場をつくり相談されやすい関係づくりを目指す。また「小さなお手伝いをボランティアに」などと呼びかけるチラシを配り、潜在的なニーズの掘り起こしを進めている。

8月上旬、汗びっしょりになりながらボランティア活動する学生たち=石川県輪島市で

 前出の渥美教授は「現在、いろいろな団体が被災地で活動している。県が募集枠から漏れた人に団体を紹介することも一案で、ボランティアの力をもっと活用してほしい」と求めた。  東日本大震災や熊本地震などの現場を視察し能登も訪れた茨城大の信岡尚道教授(防災工学)は、支援を希望する人に向け「これから遅れていた家の修理などが本格化し、家財の整理などのボランティアのニーズは継続する。関心を持ち続け、可能なときに参加を」と求めた。

◆デスクメモ

 4月下旬、炊き出しのボランティアで能登半島を訪れた。地震から約4カ月たっていたが、予想以上に長い列ができ驚いた。大半は避難所などの高齢者だった。さらに4カ月。記事の写真を見る限り復興が急速に進んだ様子は伝わってこない。行政は本当にニーズをつかんでいるのか。(北)


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