今から50年前の昭和49年8月30日の昼過ぎに起きた三菱重工ビル爆破事件で、この会社に勤務する石橋光明さん(当時51歳)は死亡しました。
息子で当時中学3年生だった石橋明人さん(64歳)は夏休みで、自宅でテレビを見ていたところ爆破事件を知ります。
石橋明人さん
「画像がいろいろ映ってきて大変なんだなというのが分かりましたけれども、その時はまさか父親が巻き込まれているとは思ってもいませんでした」
そのあと買い物から帰ってきた母親と2人で待っていましたが、いつまでも父親から連絡がなく、不安を募らせていきます。
「お父さんだったよ」
夜になって連絡があり、母親が警察署に向かいます。
遺体の身元確認のためでした。
母親から電話がかかってきて、ひと言「お父さんだったよ」と告げられました。
その瞬間「ものすごく力が抜けていくような感じだった」といいます。
厳しい一面はあったものの、一緒に自転車で遠出するなどよく遊んでくれた父親の死。
気持ちの整理がつかず、葬儀では涙が出ませんでした。
面影を求めて、石橋さんは事件のあと、父親の職場を訪ねました。
案内された父親の席に座ると「ここで仕事をしていたんだ」と、こみ上げてくるものがありました。
“最期を本名で” 桐島容疑者の死に
石橋さんは大学生のころ、母親とともに事件の裁判を傍聴しますが、被告らからの謝罪はなく、その主張や動機は納得できるものではありませんでした。
事件を起こした過激派のうち、2人は別の過激派の日本赤軍が海外でハイジャック事件などを起こした際、超法規的措置によって釈放され、現在も国際手配されています。
ことし1月には一連の事件に関わったとされ、逃亡を続けていた桐島聡容疑者が「最期は本名で迎えたい」と名乗り出たあと、事件の詳細を語ることなく病死しました。
石橋明人さん
「桐島容疑者から逃亡している人間の情報でも出てくればいいとその時、正直思いました。彼が『最期を本名で迎えたい』と言っていたのは、ずいぶん自分勝手な話だと思いました」
「実行しようとする人間がいれば、すぐまた起きてしまう」
石橋さんは事件から50年を前に現場を訪ねました。
もし父親が生きていたらどういう話をしたかったかという問いかけに、石橋さんは「父親の食べ物の好みの話とか、日常のどうでもいいような話をしたかったなぁ」と答えました。
50年前に受けた心の傷が今も癒えていないという石橋さん。
暴力で社会に影響を及ぼそうとする事件が起きる現代に危機感を持っています。
石橋明人さん
「50年前と町並みも変わりましたけれど、ああいう事件・事故は実行しようとする人間がいれば、すぐまた起きてしまうと思う。私が事件のことを話すことで、まだ身の周りに起こるような事件ではあるということを伝えられればいい」
三菱重工ビル爆破事件とは
今から50年前の1974年8月30日、東京・丸の内のオフィス街にある三菱重工の本社ビルで爆発があり、8人が死亡、380人が重軽傷を負いました。
事件を起こしたのは過激派の「東アジア反日武装戦線」というグループのメンバーでした。
当時、海外に進出していた日本企業によって東南アジアの人たちの「窮民化」が進んでいるとして、これらの企業の進出を経済的な侵略だと批判し、事件を起こしました。
グループごとに「狼」「大地の牙」「さそり」と名乗っていた「東アジア反日武装戦線」のメンバーは、1974年から翌1975年にかけて海外進出企業などをねらった「連続企業爆破事件」と呼ばれる11の事件を相次いで起こしました。
警察白書などによりますと、1970年代はベトナム戦争を契機とした反戦・反米の機運や、学園紛争から生まれた反体制のムードの高まりを背景に、警察が「極左暴力集団」と位置づけるグループの活動が先鋭化した時代でした。
一連の連続企業爆破事件では、8人が起訴され、組織のリーダーで2017年に死亡した大道寺将司元死刑囚と益永利明、旧姓・片岡利明死刑囚が死刑判決を受け、確定しています。
しかし8人のうち大道寺あや子容疑者と佐々木規夫容疑者は、過激派の「日本赤軍」が海外で大使館占拠事件やハイジャック事件を起こした際に、超法規的措置によって釈放され、現在も国際手配されています。
その後、長らく事件に進展はありませんでしたが、連続企業爆破事件の1つ、昭和50年4月に起きた東京・銀座の「韓国産業経済研究所」のビル爆破事件に関わったとして指名手配されていた桐島聡容疑者が、ことし1月に神奈川県内の病院で突然、名乗り出ました。
末期がんだった桐島容疑者はその数日後に死亡し、警視庁は容疑者死亡のまま爆発物取締罰則違反と殺人未遂の疑いで書類送検しています。
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