終戦から79年がたちました。大人たちが始めた戦争は、多くの幼い命や若者の未来を奪いました。生き残った子どもたちも飢えに苦しみ、家族を亡くした悲しみの日々を過ごしました。「戦争は気付かないうちに始まる。平和とは何か、自分の頭で考えなさい」。当時の記憶と非戦への思いを語り続ける戦争世代の言葉が重く響きます。

(1)学童疎開の苦難を後世に 閣議決定80年、伝承にハードル


都内から疎開した児童らとの写真を見つめる砂金元子さん(8日、宮城県大崎市)

本土空襲が増えた太平洋戦争末期、数十万人に上る都市部の子どもたちが郊外や地方の農村部に学童疎開した。80年前の1944年6月、政府は「集団疎開」を閣議決定。経験者の高齢化は進み、飢えに苦しんだ日々を後世に伝える難しさも浮き彫りになっている。…記事を読む

(2)「特攻隊」の記憶、若者がつなぐ 作戦開始から80年


日本軍の戦闘機などが展示される知覧特攻平和会館(7日、鹿児島県南九州市)
厳しい戦況を打開しようと、爆弾を搭載した戦闘機や1人乗りの魚雷が米軍艦などに体当たりを仕掛ける特攻部隊が各地で出撃した。亡くなった隊員の多くは若者で子や孫はほとんどいない。若い世代が記憶を継承し、命の尊さを伝える動きが広がっている。…記事を読む

(3)学童疎開船「対馬丸」撃沈80年、守ってくれた父は海底に


犠牲になった子どもらの写真の前で話す高良政勝さん(6日、那覇市)
太平洋戦争末期に沖縄の学童疎開船「対馬丸」が米潜水艦に撃沈され、子どもら1484人が犠牲になった。政府による船体再調査の機運が高まっている。当時4歳で乗船した男性は父の胸に抱きかかえられて一命を取り留めたが、両親を含む家族9人を亡くした。…記事を読む

(4)封印した被爆体験、92歳で証言者に 核の脅しに危機感


被爆体験講話をする被爆者の才木幹夫さん(6日、広島市中区)
今年度から広島市の被爆体験証言者となり、惨禍を伝え始めた92歳の男性がいる。被爆時は広島県立広島第一中学校(現・広島国泰寺高校)の2年生。1945年8月6日は学徒動員が急きょ取りやめとなり、自宅にいて助かった。「地獄絵図」を繰り返さぬため、つらい記憶を語り始めた。…記事を読む

(5)エノラ・ゲイ搭乗員、流した涙 被爆女性「憎むべきは戦争」



渡航先の米国でテレビ番組に出演し、エノラ・ゲイで副操縦士を務めたロバート・ルイス氏に対面した(1955年5月)
広島に原爆を投下した米軍機「エノラ・ゲイ」搭乗員との面会の記憶を語り続けている被爆者がいる。涙を流し罪悪感に苦しむ姿をみて「本当に憎むべきは人ではなく、戦争だ」との考えに行き着いた。立場の違いを乗り越えて理解し合う大切さを国内外の若者たちに訴えている。…記事を読む

(6)「戦争さえなければ」 長崎原爆忌、父と兄失った語り部


被爆した場所で自身の体験を語る門隆さん(7月、長崎市)
1945年8月9日、長崎にも原爆が投下された。焦土となった町を歩き、父を荼毘(だび)に付した翌日、兄の訃報を聞かされた当時9歳の男性。「戦争は気付かないうちに始まる。平和とは何か、自分の頭で考えなさい」。戦争や紛争がなくならない今の時代だからこそ、こう強く問いかける。…記事を読む

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