湯浅投手は2019年に阪神に入団し、4年目の2022年のシーズンには、主に8回を投げるセットアッパーに定着して、最優秀中継ぎのタイトルを獲得しました。
今シーズンは1軍での登板はなく、2軍でも7月10日を最後に登板はありませんでした。
球団によりますと、湯浅投手は、背骨付近にあるじん帯が硬くなって痛みやしびれを引き起こす国指定の難病「黄色じん帯骨化症」と診断され、福島県内の病院で手術を受けて、25日に退院したということです。
湯浅投手は「ことしに入って体に強い違和感を感じるようになり、悩んだ結果、手術することを決断した。しっかりリハビリをして、また元気に投げる姿を見ていただけるように、そしてチームに貢献できるように頑張ります」とコメントしています。
「黄色じん帯骨化症」とは
「黄色じん帯骨化症」は、背骨付近にある「黄色じん帯」が骨のように硬くなって、神経を圧迫してしまう、国指定の難病です。
原因についてはわかっていないことが多く、下半身などに痛みやしびれが生じ、症状が進むと排せつや歩行が困難になる患者もいます。
アスリートが発症するケースも多く、プロ野球では、DeNAの三嶋一輝投手や中日の福敬登投手などが手術とリハビリを経て復帰を果たしましたが、引退を余儀なくされた選手も少なくありません。
患者団体会長 “手術後も痛みやしびれに苦しむ患者多い”
「じん帯骨化症」の患者や家族による団体によりますと、手術を行ったあとも痛みやしびれといった症状に苦しむ患者が多いといいます。
「全国脊柱靱帯骨化症患者家族連絡協議会」の藤原瑞恵会長は、2015年ごろから症状が出始め、「黄色じん帯」や「後縦じん帯」の骨化症と診断されました。
下半身がまひした状態になり、手術と1年ほどのリハビリを経て歩ける状態には回復しましたが、今も足のしびれや痛みを感じていて、痛み止めを飲み続けているといいます。
藤原さんは「発症すると最悪の場合、足がまひして動かなくなったり、手の感覚がなくなってしまったりすることもある。手術をしても、一度しびれが出てしまうと改善が難しく、しびれが残っている人が多い」と説明しました。
さらに「わからないことも多く、治す薬も進行を止める薬もない状態なので、運動機能が低下したときに手術することしかできない。痛かったら痛み止め、しびれたらしびれをとる薬などと、対症療法しかない」と、患者を取り巻く厳しい現状について話しました。
それでも、過去にこの病気を発症したアスリートが復帰する姿に励まされてきたということで「選手が元気に復帰する姿は私たちの希望にもなるので、ぜひ頑張ってもらいたいです」と話していました。
湯浅投手 何度も逆境を乗り越える
湯浅投手は、三重県出身の25歳。これまで何度も逆境を経験しながら、それを乗り越えてきました。
福島の聖光学院から、独立リーグの富山GRNサンダーバーズを経て、2019年にドラフト6位で阪神に入団。たび重なるけがに悩まされましたが、地道にリハビリと練習を重ねてきたことで実力が開花します。
4年目の2022年のシーズンは、150キロを超えるストレートと鋭く落ちるフォークボールを持ち味に、セットアッパーに定着しました。チームトップの59試合に登板し、防御率1.09、45ホールドポイントをマークして、最優秀中継ぎのタイトルを獲得しました。
さらに、2023年3月に行われたWBC=ワールド・ベースボール・クラシックの日本代表にも選ばれ、世界一に貢献しました。
しかし、開幕から抑えを任された2024年のシーズン、今度は腕や脇腹のけがで、本来の投球をすることができず、レギュラーシーズンの登板は15試合と、チームのリーグ優勝に貢献することはできませんでした。
それでも「シーズン中に絶対に治して、1軍で投げるんだ」と強い思いを持って、黙々とリハビリやトレーニングを続けました。
そして、日本シリーズの第4戦では、ピンチの場面で、およそ5か月ぶりとなる1軍のマウンドに上がり、全力で投じた初球のストレート1球で抑えて、復活を印象づけ、チームの38年ぶりの日本一に貢献しました。
どれだけ苦しいときも、強い精神力でみずからを奮い立たせ、幾度となく逆境を乗り越えてきた湯浅投手。またしても訪れた試練に立ち向かい、甲子園球場のマウンドに戻ってくる日をファンは待ち望んでいます。
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