米軍普天間飛行場の辺野古移設工事が本格化する裏で、別の移設計画も進もうとしている。現場は沖縄県浦添市。県庁近くの米軍那覇港湾施設(那覇軍港)の返還をかなえる名目で、代替の軍港が建設されようとしている。危惧されるのが美ら海の破壊、そしてオスプレイの飛来や原子力空母の寄港も。月内にもボーリング調査が始まるが、黙ってはいられない。 (太田理英子、山田祐一郎)

軍港の移設が計画される沖縄県浦添市の沿岸部。夕焼けを眺めに来る人も少なくない

◆親子連れが小魚を追いかける姿

 那覇空港から車で20分。那覇市の北側にあるのが浦添市だ。市東部には、沖縄戦の激戦地として知られる前田高地。かたや西部の海岸沿いには、米軍の兵たん補給拠点「牧港(まきみなと)補給地区」の倉庫群や工場が並ぶ。

干潟を散策する子どもら。軍港の移設先に近い=沖縄県浦添市で

 牧港補給地区から海岸へ向かうと、サンゴ礁に囲まれた浅瀬「イノー」が広がり、親子連れが小魚を追いかけて楽しむ姿が日常的な光景となっている。  「豊かな海を何とか残したい。埋めて軍港にするのは沖縄の意思と違う」。環境保全に携わってきた元自治会長、銘苅(めかる)全郎さん(82)は嘆く。この地で今、那覇市にある那覇軍港を移設する計画が進もうとしている。

◆「国が負担することになるのでは」

 那覇軍港は県庁から約1キロの市街地にある。敷地面積は東京ドーム12個分にあたる約56ヘクタール、駐留軍従業員は89人。沖縄の米軍基地の使用条件を定めた「5.15メモ」は、主な使用目的を「港湾施設及び貯油所」としており、貨物の荷降ろしや船舶修理などで使われてきたという。

移設が計画される那覇軍港

 現行の移設計画では、那覇軍港から北東6キロの浦添市沖でT字形施設を建てるために、約49ヘクタールを埋め立てる。防衛省は環境影響評価の手続きの一環として配慮書を公表し、23日まで意見公募(パブリックコメント)を行う。月内にもボーリング(掘削)調査を始める見通しだ。県によると、総工費や工期は示されていない一方、担当者は「移設なので負担があるとすれば国になるのでは」と語る。

◆貴重な藻場の生態系「恐らく壊滅」

 浦添市などで海の環境教育に取り組む鹿谷(しかたに)麻夕さん(56)は危機感を募らせる。「おそらく、海の自然環境は壊滅する」  浦添のイノーの範囲は約3平方キロメートルにも及ぶ。県の人口が集中する中南部の西海岸は埋め立てが進み、イノーがまとまって残るのは浦添ぐらいという。

米軍のMV22オスプレイ(資料写真)

 岸側には芝生のように海草が生える「海草藻場」があり、青ウミガメの餌や稚魚の成育場となるほか、大気中の二酸化炭素を吸収する「ブルーカーボン生態系」としても貴重だ。

◆オスプレイの危険も持ち込まれる?

 この「宝の海」に新たな軍港ができようとしている。鹿谷さんは「潮の流れなどが変わって内湾の環境になり、水中で積もる砂は泥のようになる。サンゴや海草の生育への影響は避けられない」と指摘する。  運用開始後のリスクを懸念する声も根強い。那覇軍港では2021年以降、輸送機オスプレイの離着陸や訓練が繰り返された。そのオスプレイは墜落や緊急着陸が相次ぐが、浦添でも使用されかねない。「浦添西海岸の未来を考える会」の世話人、里道昭美さん(66)は「なぜ住宅地近くに軍港を造るのか。オスプレイの事故が起きても国は日米地位協定のせいで何もしないはずだ」と危ぶむ。

◆「機能維持」でなく「機能強化では」

 防衛省は「代替施設の目的は現施設の機能維持」と強調するが、「機能強化」に転じるとの見方もある。

移設が計画される那覇軍港

 沖縄平和運動センターの岸本喬事務局長は、国が当初想定したのと異なる運用がなされるケースは「山ほどある」と強調する。引き合いに出すのが、与那国島の自衛隊配備。当初は沿岸監視部隊としていたが、ミサイル部隊が配備されるようになった。  今回の移設計画でいえば、那覇軍港は水深約10メートルだが、浦添は2倍以上深く、「原子力空母など大型艦が入港できる」とみる。

◆「那覇軍港の代替施設を浦添に」合意

 前線に近い集積拠点として、倉庫群などの返還が予定される牧港補給地区も維持される恐れがあるとし、「軍港が巨大化すれば、有事の際に真っ先に狙われるのは当然。住民にとっての弊害、危険は増していくだけだ」と訴える。  那覇軍港の浦添移設は、長きにわたる経過がある。  1974年の日米安全保障協議委員会では、「移設条件付き」で那覇軍港の全面返還が合意された。95年の日米合同委員会では浦添移設に合意。96年の「沖縄に関する特別行動委員会(SACO)」の最終報告書で明記された。2013年に合意された沖縄米軍施設の統合計画では、49ヘクタールの代替施設を浦添に建設し、那覇軍港を「28年度またはその後」の返還が示された。

◆押し付け合いで自治体が疑心暗鬼に

 琉球大の島袋純教授(行政学)は「米軍基地を沖縄に集中させるというのが日本政府の基本的立場。返還は県内移設が前提となってきた」と指摘する。  県内移設は沖縄での負担の移動にすぎない。「米軍施設を押しつけ合う構図ができ、自治体同士を疑心暗鬼にさせてきた」  そう語る島袋氏は「那覇市は本土復帰前から革新系の市長が選ばれ、長年、無条件の即時返還を求めていた」と解説する。

沖縄県の玉城デニー知事

 だが2000年に翁長雄志氏が市長になると浦添移設容認にかじを切る。13年に移設反対を掲げて浦添市長となった松本哲治氏も15年に公約を撤回、受け入れを表明した。このころに知事となった翁長氏は辺野古移設に反対した一方、浦添移設は容認の立場だった。

◆「軍港跡を開発したい」経済界の悲願

 背景にあるのが地元経済界の大きな期待だ。那覇軍港は那覇空港と近く、跡地開発が悲願となっている。「浦添に軍港を移してでも開発したい思いを県知事、那覇市長、浦添市長が受けてきた」と島袋氏は話す。  翁長氏の方針を踏襲する玉城デニー知事に対し、一部からは「ダブルスタンダード」との指摘も上がる。  沖縄国際大の前泊博盛教授(日米安保論)は「知事を支えるオール沖縄でもこの問題はアキレス腱(けん)であり、表立って騒がれない要因となっている」と語り「今回のパブコメに対する県民の関心も低い」と続ける。

◆利用されない軍港?「必要なのか」

 その一方で、那覇軍港の返還のために浦添移設が本当に必要なのか、根本的に問い直すべきだと説く。  「軍事的、地理的な位置付けが当初と大きく変化しているのになぜ浦添に移設が必要なのか」

那覇軍港移設に揺れる沖縄県浦添市の西海岸

 県によると、那覇軍港には1987年に96隻が寄港したが、2002年は35隻と減少。その後は米軍からの情報提供がなく不明とされる。「ほぼ利用されてこなかったのが実態だったのでは。遊休化する施設を日本側の負担で更新する意味はどこにある」

◆「返すなら代わりを」の仕組みを変えねば

 浦添移設は米軍への提供手続きが終わるまで10年以上かかる見込みだ。軟弱地盤が判明し、工期延長や費用膨張に至った辺野古のように不慮の事態が生じる可能性も否定できない。  先の島袋氏は「米軍の利益をどう保障するかに翻弄(ほんろう)されてきたのが沖縄。今後も同じように県内移設が繰り返される可能性がある。代替施設がないと解放されない仕組み自体を変えなければいけない」と訴える。

◆デスクメモ

 自民党の総裁選と立憲民主党の代表選が迫る。「誰がトップになるか」に関心が向くが、国政を左右する局面ゆえ、あるべき社会像の議論を尽くすべきだ。誰かに負担を押しつけていいか。どこかの言いなりでいいか。解散総選挙ともなれば、一票を託す私たちも問われることになる。(榊) 

鄭重声明:本文の著作権は原作者に帰属します。記事の転載は情報の伝達のみを目的としており、投資の助言を構成するものではありません。もし侵害行為があれば、すぐにご連絡ください。修正または削除いたします。ありがとうございます。