福島第一原発の1号機から3号機では、2011年3月の事故で溶け落ちた核燃料と周囲の構造物が混ざり合った核燃料デブリが合わせておよそ880トンあると推定され、極めて強い放射線を出し続け容易に近づけないことから、その取り出しは「廃炉最大の難関」とされています。

事故からおよそ13年半で初めてとなる試験的な取り出しは、22日午前8時ごろまでに2号機で始まる予定で、格納容器の内部に通じる配管に細いパイプ状の装置を入れ、先端からケーブルで下ろした器具で底にあるデブリを数グラムつかみ回収する計画です。

作業はほとんどが遠隔操作で行われ、順調に進んだ場合でも底の部分まで到達するのに数日はかかり、デブリをつかんで格納容器の外に取り出すのは早くても1週間ほど先になるとみられます。

核燃料デブリの取り出しは、2021年までに始めるとした当初の計画から3年遅れていますが、政府や東京電力は、デブリの性質や状態などに関するデータは、本格的な取り出し工法の検討など、今後の廃炉を進める上で欠かせないとしていて、成否が注目されます。

東京電力は「状況を確認しながら安全を最優先に慎重に進める」としています。

試験的取り出しの詳細は

今回の試験的な取り出しで、東京電力は、2号機の原子炉を覆う格納容器の底にある核燃料デブリのうち、小石状のものをひとつぶ取り出す計画です。

この際、放射線量が高くなりすぎないよう、重さを3グラム以下に抑えるとしています。

取り出しには専用に開発した「テレスコ式」と呼ばれる伸縮式の細いパイプ状の装置を使います。

はじめに、格納容器の内部に通じる直径60センチメートルの配管の中に装置を入れ、21メートルまで徐々に伸ばしていきます。

そして、格納容器の内部に達した先端部分からデブリをつかむ器具を数メートル下までケーブルでつり下ろし、底に堆積しているデブリをつかんで回収する計画です。

現場の放射線量が高く人が容易に近づけないことから、ほとんどの作業は遠隔操作で行われ、器具の先端についたカメラで状況を確認しながら装置を慎重に進めます。

さらに、作業員の負担や被ばく線量を考慮し、1日の作業時間は午前中の数時間に抑える予定で、こうした事情から、東京電力は作業を完了するまでには1週間から2週間程度かかるとしています。

装置でつかんで持ち上げ、格納容器の外へ回収したデブリは容器に入れる前に表面から20センチメートルの距離で放射線量を測定し、1時間当たり24ミリシーベルトを超えた場合には、作業員の被ばく線量を抑えるため格納容器の内部に戻す計画です。

放射線量に問題がなければ、デブリを容器に入れ、一連の取り出し作業は完了となります。

このあとデブリを入れた容器は、茨城県大洗町にある日本原子力研究開発機構の研究施設に運ばれ、半年程度かけて詳しい分析を進める予定です。

今回、核燃料デブリの取り出しを試みる2号機の格納容器は、5年前に同じような形状の装置を使って調査していて、このとき小石状のデブリとみられる堆積物を動かせることを確認しています。

こうした調査の結果から、政府と東京電力は小石状のデブリは取り出すことができると判断し、2号機で試験的な取り出しを行うことを決めました。

「30年から40年で廃炉」工程表と現在

政府と東京電力は、事故が起きた2011年に福島第一原発の廃炉を「30年から40年で完了する」とした工程表を策定し、これまでの合わせて4回の改訂でも最終的な目標は堅持するとしています。

ただ、今回初めて行う核燃料デブリの取り出しは「2021年までの開始」からすでに3年近く遅れ、はじめは数グラム程の試験的な取り出しにとどまる計画です。

今後、3号機で始める予定の本格的な取り出しについても、東京電力が、ことし3月に国の専門機関からの提言を受けて工法を検討している段階で、開始時期の見通しは立っていません。

さらに核燃料デブリを取り出せたとしても、デブリを含む膨大な放射性廃棄物をどこでどう処分するかについては、取り出し開始後に検討するとしていて、工程表どおりに最長40年で廃炉を終えられるかは不透明さを増しています。

核燃料デブリとは

核燃料デブリは、福島第一原発の1号機から3号機で、2011年3月の事故により溶け落ちた核燃料と周囲の構造物が混ざり合ったもので、3基合わせておよそ880トンに上ると推計されています。

3基すべてで原子炉の底を突き破り、原子炉を覆う格納容器の底まで達していて
▽燃料の主な成分であるウランと
▽燃料のケースや核分裂を抑える制御棒など使われていた金属
それに
▽ケーブル類などさまざまな物質が混ざり合っているとみられます。

これまでの調査で、3基の格納容器内では、塊状や小石状、砂状などの状態で固まっている核燃料デブリと見られる堆積物が確認されていて、このうち2号機では5年前に、今回の取り出し装置と似た装置で直接つかんだり、動かしたりする調査が行われました。

ただ、これまでのところ実物を分析できていないことから、混ざり合った物質の割合、形、硬さなど詳しい性質や状態はわかっていません。

核燃料デブリは、事故直後は極めて高い熱を発していたため、水に浸したりかけ流したりして冷却を続けてきましたが、東京電力によりますと、熱は大きく下がっていて、格納容器内の温度は20度から35度程度で「安定した状態を維持している」ということです。

一方、依然として極めて強い放射線を出し続けていて、2019年の調査では、2号機の格納容器の底付近で1時間当たり最大7.6シーベルトという放射線量を計測しています。

これは、人が1時間ほどとどまれば死に至るレベルの被ばくをするとされる値です。

福島第一原発の核燃料デブリの取り出しは、世界でも前例のない困難な取り組みとされます。

旧ソビエト時代の1986年に事故が起きたウクライナのチョルノービリ原発では、およそ170トンの核燃料が溶けてコンクリートなどと混ざり合い、核燃料デブリとなって原子炉建屋内に残っているみられますが「石棺」と呼ばれるコンクリートの構造物で覆うなどして取り出しは行われていません。

また、アメリカのペンシルベニア州で1979年に事故が起きたスリーマイル島原発では、福島第一原発とは異なり核燃料デブリが原子炉の中にとどまっていたため、原子炉を水で満たして放射線を遮って作業することで、事故から10年余りでほとんどのデブリを取り出しています。

いっぽうの福島第一原発では、核燃料デブリが原子炉の外まで広がっているほか、デブリの総量はチェルノブイリ原発やスリーマイル島原発の5倍から7倍近くに上るとみられ、取り出しの難しさが指摘されています。

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