紛争において、交流サイト(SNS)などを通じた扇情的な情報の発信によって人の「脳」に直接働きかける「認知戦」が、深刻な課題として浮上している。外国政府などが仕掛ける情報戦に、知らず知らずのうちに巻き込まれ「いいね!」を押して拡散させると、結果としてその情報が「兵器」となる恐れが高まっている。(デジタル編集部・滝沢学)

あなたの「いいね!」が兵器になるかも…?(イメージ写真)

◆ウクライナ侵攻でも偽情報氾濫

 「ウクライナ政府はネオナチだ」「ゼレンスキー(ウクライナ大統領)は巨万の富を蓄えている」  2022年2月に始まったロシアによるウクライナ侵攻では、SNSなどで偽情報が氾濫し、ウクライナを攻撃する「兵器」と化している。  同年3月には、ウクライナのテレビ局がロシア側勢力のサイバー攻撃を受け、ゼレンスキー氏が、ロシアに降伏し「首都キーウ(キエフ)から逃げた」と語る巧妙な偽動画が流れた。偽動画はSNSでも拡散。国民を動揺させ、侵攻を優位に進める狙いがあったとみられる。  しかし、ウクライナ側も偽情報の拡散を予想していたため、すぐにゼレンスキー氏が自撮りの動画を公開して「幼稚な挑発だ」と否定した。政府は「偽情報防止センター」などを通じ、もぐらたたきのように偽情報を否定して防戦している。

◆「いいね!」の傾向から性格分析、政治広告表示し続け…

 人々がSNSを通じて見たい情報ばかりを見るようになった現代では、信じたい内容が含まれる偽情報の威力は強まっている。そして、人々が何を信じるかをつかさどる脳の「認知領域」は、陸、海、空、宇宙、サイバー空間に続く「第6の戦場」と捉えられ、各国が攻防を研究している。  例えば、SNS上の「いいね!」を押した傾向から利用者の性格を分析し、政治信条に沿った政治広告などを表示し続けて「考え方」を先鋭化させ、異なる意見の人と対話できないようにさせて社会の分断を狙う。米国の議会上院によると、2016年のアメリカ大統領選に介入したロシアが採ったとされる手法だ。

◆銃撃や爆撃だけじゃない「攻撃」

 使われるのは、完全な偽情報だけではない。事実を散らしながら意図的に作った物語「ナラティブ」も駆使し、人々を操ろうとする。現代の紛争は、銃撃や爆撃など物理的な破壊だけではない。認知戦など破壊を伴わない「攻撃」も組み合わせた「ハイブリッド戦」が平時から展開されている。  認知戦では、SNSの利用者が「いいね!」を押して何げなく拡散させる情報が、関係する国の世論形成や意思決定に影響を及ぼす「兵器」になり得る。

◆中国は台湾への認知戦を活発化

 米国や西欧諸国でつくる北大西洋条約機構(NATO)や中国は、既に対応を体系化。特に中国は、統一を目指す台湾への認知戦を活発化させている。  中国人民解放軍の大佐は1999年に出版した著書の中で、あらゆるものを戦争の手段とし、あらゆる場所を戦場にするとの戦略を「超限戦(ちょうげんせん)」という造語で示した。人の脳(考え方)を押さえる「制脳権」という概念も導入されている。  ロシア軍事の専門家で、認知戦なども研究する小泉悠・東京大先端科学技術研究センター准教授は「仕掛ける側は、われわれが暮らす社会の公正さに疑問を抱かせるような情報を流してくる」と説明する。

◆日本政府の対応の遅れ指摘も

 例えば「沖縄の米軍基地の負担集中問題」だ。社会の中で、実際にくすぶる対立や不満の火種に着目し、刺激的な情報を大量に投稿し「人々の考え方を先鋭化させる」ように仕向けるケースが目立つ。その狙いは、異なる考えを持つ人々が対話もしなくなる状況、つまり「社会の分断」だ。小泉氏は「沖縄は実際に不平等な状態に置かれている」と指摘。認知戦に利用されないためにも、日本政府は不公正な問題を正す必要があると強調する。  一方、日本政府の対応の遅れも指摘される。2022年の防衛白書で「認知戦」という言葉が初めて登場し、同年末の安全保障関連3文書の改定で対策強化を打ち出した。防衛省は人工知能(AI)を活用し公開情報の収集、分析などを行うとしている。ただ、認知戦の標的は、主にSNSの利用者だ。ミサイルや銃弾だけでは達成できない戦争の政治目標を、水面下の情報戦で実現する動きがあることを、わたしたち自身が知っておく必要がありそうだ。 

鄭重声明:本文の著作権は原作者に帰属します。記事の転載は情報の伝達のみを目的としており、投資の助言を構成するものではありません。もし侵害行為があれば、すぐにご連絡ください。修正または削除いたします。ありがとうございます。