中曽根首相が靖国公式参拝

1985(昭和60)年 中曽根康弘首相が靖国神社に公式参拝。「内閣総理大臣」と記帳し、公費で購入した生花を本殿に供え、中国、韓国の激しい反発を招いた。次に現職首相が終戦記念日に靖国参拝したのは、2006年の小泉純一郎。「内閣総理大臣」と記帳し、献花料は私費で納めた。小泉は01年の自民党総裁選で、8月15日参拝を「公約」したが、05年までは中・韓に配慮し日程をずらすなどして参拝した。

中韓が首相や閣僚による靖国参拝を批判することになったのは、東条英機元首相ら14人の東京裁判のA級戦犯を78年に合祀(ごうし)したため。昭和天皇も合祀以降は靖国参拝を行わなくなった。

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村山談話を閣議決定

1995(平成7)年 政府が「戦後50周年の終戦記念日にあたって」と題する声明を、閣議決定。村山富市首相が「わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました」との歴史認識を示し、謝罪した。

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その他の出来事

明治政府が太政官制採用

1869年(旧暦:明治2年7月8日) 明治政府が官制改革を実施し、民部以下の六省を管轄する官庁として太政官が置かれ、太政(だじょう)官制が成立した。しかし、この改革は律令的太政官制に基づく復古的なもので、三権分立制は消え、太政官の上に神祇(じんぎ)官が置かれた。太政官制は数度の改革を経て、1885年12月の内閣制度樹立まで続いた。

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北海道開発目指し開拓使設置

1869年(旧暦:明治2年7月8日) 明治政府が蝦夷地(北海道)の開発を目的に開拓使を設置。北海道の人口・産業の中心は南端の箱館(函館)だったが、銭函(現小樽市銭函)に仮役所を開設し、1871(明治4)年に札幌に開拓使庁を設置。

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玉音放送で戦争終結伝える

1945(昭和20)年 昭和天皇が「戦争終結の詔書」をラジオ放送で発表され、ポツダム宣言を受諾して連合国に降伏したことを伝えた。天皇は14日に同詔書を朗読してレコード盤に録音。日本放送協会(NHK)が15日正午、このレコード盤を使い初めて、天皇が肉声で語り掛ける「玉音放送」を流した。

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戦後初、夏の甲子園が開幕

1946(昭和21)年 戦時中中断されていた「夏の甲子園=全国中等学校優勝野球大会」が復活、開幕した。甲子園球場は連合国軍総司令部(GHQ)に接収されていたため、全国大会は西宮球場(兵庫県西宮市)で開催。翌47年から、大会会場が甲子園に戻り、48年の学制改革で、大会名称は現行の「全国高等学校野球選手権大会」となった。

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忠犬ハチ公像が再建され除幕

1948(昭和23)年 東京・渋谷駅前に「忠犬ハチ公像」が再建、除幕式が開催。初代の銅像は太平洋戦争の戦況が悪化した1944年に金属回収の対象となった。戦後、復興と平和の象徴として再建を目指す動きが起こり、初代のハチ公像の作者である彫刻家安藤照(てる)の長男士(たけし)が制作。

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初の全国戦没者追悼式開催

1963(昭和38)年 日比谷公会堂で政府主催の全国戦没者追悼式が行われた。8月15日開催はこの年が初めて。64年には靖国神社敷地内で行われたが、国会で問題となり、65年から日本武道館に会場を移した。追悼式は日本が連合国の占領下から主権を回復した後、遺族の悲願に応えて、52年5月2日に新宿御苑で行われた。

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北島選手、金メダルで「超気持ちいい!」

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