太平洋戦争中、オーストラリアの捕虜収容所から大勢の日本兵が脱走を図った「カウラ事件」から、今夏で80年となった。慰霊と親睦の願いを込め、現地での記念式典に西大寺(奈良市)の辻村泰範執事長らが出席した。辻村さんは「事件を忘れずに、後世へつないでいきたい」と話す。

 事件は1944年8月5日未明に、豪州南東部の町カウラの捕虜収容所で発生した。収容されていた約1千人の日本兵捕虜が集団脱走を試み、銃撃や自決などにより230人以上が死亡した。豪州の守備兵にも犠牲者が出た。

 収容所では十分な食事が出され、待遇は悪くなかった。しかし、旧日本軍の行動規範である戦陣訓の「生きて虜囚の辱めを受けず」とする思想により、多数決を経て、死を求めて脱走に至ったとされる。

 この事件や、旧日本軍によるダーウィン空襲などにより、豪州での反日感情は根強かった。同国出身で、奈良市のカトリック教会の司祭だった故トニ・グリン神父らが関係改善に努め、神父と親交のあった辻村さんもこれまでに複数回、現地や国内の関係する地で追悼の法要を営んできた。

 今回は辻村さんのほか、グリン神父とゆかりの深い第二電電(現KDDI)創業者の千本倖生(さちお)さん、音楽を通じた友好活動を続けている声楽家の荒井敦子さんら24人が、3~8日に豪州を訪問。4、5日はカウラの収容所跡地や戦没者墓地での式典に出席し、南都の寺院から託された線香を供えたという。旧日本軍の攻撃を受けたシドニー湾や、グリン神父の出身地であるリズモーも訪れた。

 辻村さんは「カウラの人々は丁寧に兵士らを葬り、墓地を守り続けてくれている。温かい気持ちが伝わってきました」と話し、「私たちの方が事件を忘れていき、豪州と戦争をしたこと自体を知らない人も増えている。グリン神父の功績もあわせて、語り継いでいかないといけない」と省みた。

 ウクライナやパレスチナのガザ地区など、現在も戦禍に見舞われている地域が世界に多数ある。辻村さんは「一筋の小さな糸でも、平和につながっていくようにしていきたい」と語った。(上田真美)

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