学童疎開船「対馬丸」が沈没した方角に向け祈りをささげる沖縄県内の小学生ら=13日午後、鹿児島県・徳之島沖

 太平洋戦争中に沖縄から出港した学童疎開船「対馬丸」が米潜水艦に撃沈され、学童ら1500人近くが死亡した事件から22日で80年となるのを前に、沖縄県内の小学生15人が13日、那覇から鹿児島県・奄美大島に向かう船上で営まれた慰霊祭に参加した。沈没した方角に向かって黙とうし、海に花を投げ入れて追悼。「二度と戦争をしないから安心して眠ってね」と平和への決意を誓った。

 事件の記憶を風化させず、次世代の平和教育の担い手を育成するために那覇市の対馬丸記念館が企画した。

 午後5時半ごろ、鹿児島県・徳之島近くの海上を進むフェリーの甲板で児童らは焼香をし、手を合わせた。那覇市の小学6年池宮城陽道さん(12)は「帰る日も決まっていない不安と寂しさの中で事件に遭い、怖かったと思う」と話した。

 企画の日程は3日間で、当時多数の遺体が漂着した奄美大島の海岸でも花を手向けたり、遺族の話を聞いたりする予定。

 対馬丸は1944年8月21日、長崎に向けて那覇を出港。翌22日夜、鹿児島県・トカラ列島の悪石島沖で沈没した。

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