日本航空(JAL)のジャンボ機の墜落事故は12日、発生から39年がたった。単独の航空機事故としては世界最悪の乗客・乗員520人が亡くなった事故の遺族らは、現場となった御巣鷹の尾根(群馬県上野村)に朝から登って慰霊した。

 「先生、会いに来ましたよ。時間かかっちゃってごめんね」

 神戸市の仲咲子さん(54)はこの日、中高時代の同級生3人と初めて御巣鷹の尾根に登った。同市の親和女子中高出身で、事故当時は高校1年生。修学旅行の下見から帰ろうとした水落哲子さん(当時52)、瀬良直司さん(同36)、田中一文さん(同35)の3人の教師が犠牲となった。

 社会を教えていた田中さんはおしゃれなネクタイやズボンが印象的で、生徒から「たーさん」の愛称で人気だった。学年主任の水落さんはきびきびした人で、瀬良さんは教え方が分かりやすいと評判だった。

 3人の訃報(ふほう)が連絡網で回り、「現実とは思えず心にぽっかりと穴が空いちゃってた」。事故後しばらくは、学校で涙する生徒も少なくなかったという。

 毎年命日には有志で学校で黙禱(もくとう)を捧げてきた。事故の遺族の関係者が同校出身だった縁で誘ってもらい、この夏、初めて御巣鷹の尾根を訪れた。

 機体後部が見つかったスゲノ沢で3人の墓を見つけて手を合わせると、「こんな年になっちゃいました」「英語は最後まで苦手でした、ごめんね」と声をかけた。仲さんは「先生がそこにいるような気がして、学生の頃に戻った気分」。自身も母校で国語の教師をしており、「無意識に先生たちみたいな教師になりたいと思っていた。無事に報告できて良かった」と話す。「ここに来て初めて分かることもあった。この経験を学生たちにも伝えていきたい」と汗をぬぐった。(増山祐史)

鄭重声明:本文の著作権は原作者に帰属します。記事の転載は情報の伝達のみを目的としており、投資の助言を構成するものではありません。もし侵害行為があれば、すぐにご連絡ください。修正または削除いたします。ありがとうございます。