細川連立政権が発足 自民一党支配に幕

1993(平成5)年 日本新党の細川護熙代表を首相とした多党連立政権が発足した。同年7月の衆院選で自由民主党が過半数を割り、日本社会党、新生党、公明党、日本新党、民社党、新党さきがけ、民主改革連合、社会民主連合の8党会派による連立が成立した。1955年の結党以来続いた自民党の一党支配体制が崩れた。

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その他の出来事

米国、2発目の原爆を長崎に投下

1945(昭和20)年 米軍が、8月6日の広島に次いで長崎に2発目の原子爆弾を投下した。第1目標の福岡県小倉市(現北九州市)が曇天だったため、長崎に変更となった。広島のウラン型原爆に対し、長崎にはウラン型の1.5倍の威力があるプルトニウム型を使用。長崎市の人口24万人(推定)のうち戦闘員・軍事関係者を含めて約7万4000人が死亡し、建物は約36%が全焼または全半壊した。

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ソ連、終戦間際に不意打ち対日参戦

1945(昭和20)年 ソ連が中立条約を破って対日参戦し、満州、朝鮮、サハリンなど日本の支配地への侵略を開始した。日本は太平洋地域に戦力を集中していたため、ソ連軍はほぼ日本軍の抵抗を受けずに進軍した。ソ連は米国の原爆使用に衝撃を受け、日本の戦後処理で領土的野心を実現しようと、予定を大幅に繰り上げて、侵攻作戦に踏み切った。ソ連の和平仲介に望みをつないでいた日本の戦争指導者には、ソ連の対日参戦は寝耳に水だった。

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国際文化都市目指す長崎に特例法

1949(昭和24)年 原爆からの復興を支援するため国が制定した「長崎国際文化都市建設法」が公布・施行された。「広島平和記念都市建設法」に続く、特別立法。長崎市は法に基づき、原爆落下中心地およびその付近一帯を平和公園(原爆落下中心地、祈念像、国際文化会館、総合運動場)として整備した。

田中将大投手、開幕16連勝を達成 その後も記録更新

2013(平成25)年 プロ野球・楽天の田中将大投手(当時24)が仙台市の宮城球場でのソフトバンク戦に先発登板し、7回無失点で開幕16連勝を飾り、プロ野球新記録を樹立した。開幕15連勝は、間柴茂有(日本ハム、1981年)、斉藤和巳(ソフトバンク、2005年)とタイ記録だったが、このシーズン、田中は連勝を24まで伸ばし、日本プロ野球記録、ギネス世界記録にも認定された。

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大谷翔平、ベーブ・ルース以来の快挙

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