裁判員裁判の第1号が開廷

2009(平成21)年 日本で最初の裁判員裁判が東京地裁で開廷。同年5月に隣人同士のトラブルで女性が殺害された事件で、6人の裁判員が3人の裁判官と共に、法廷で証人や被告人への尋問、証拠調べなどを行った。6日の判決まで4日間の連日審理だった。

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その他の出来事

武家諸法度改正で大名の統制強化

1635年(旧暦:寛永12年6月21日) 江戸幕府が武家諸法度を改正。諸大名の参勤交代の義務化や大船建造の禁などの条文を加えた。大名家の軍事力を抑制し、幕藩体制の永続を狙った。

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都市対抗野球がスタート

1927(昭和2)年 神宮球場で第1回都市対抗野球大会が開幕。プロ野球誕生前、東京六大学野球の花形選手の卒業後もプレーを見る機会が欲しいという、野球ファンの期待に応えるため、東京日日新聞(現毎日新聞)が毎年開催を決めた。米大リーグの仕組みをヒントに、都市対抗とすることで、人気盛り上げを狙った。第1回大会の出場12チームは推薦で選ばれ、第2回から地区予選が導入された。

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国体明徴声明で天皇機関説を否定

1935(昭和10)年 美濃部達吉東京帝国大教授の憲法学説「天皇機関説」を否定するために、岡田啓介首相が内閣の公式見解として「国体明徴声明」を出した。軍部や右翼団体の要求に屈し「大日本帝国統治の大権は天皇にあることは明らか。天皇は統治権を行使する『機関』という考えは、わが国固有の在り方の本質(国体)を見誤っている」などとして、天皇機関説を排除する姿勢を明確にした。同年9月18日に美濃部は貴族院議員を辞職。これを機に天皇の神格化が進んだ。

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公害対策目指す基本法施行

1967(昭和42)年 公害対策基本法が公布・施行された。戦後の重化学工業の発展を背景に日本経済は急成長した。その半面、大気汚染や水質汚濁が広がり、四大公害病などの深刻な問題が起きた。公害対策に本腰を入れるため政府は同基本法を制定。ただ、同法は経済界の主張を取り入れ、「経済の健全な発展との調和」条項を加えた。

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