太平洋戦争末期の昭和20年8月1日の夜、新潟県長岡市ではアメリカ軍の焼い弾爆撃を受けて、当時の市街地の8割が焼け、確認されているだけで1488人が犠牲になりました。

この長岡空襲から79年となる1日、長岡市の「アオーレ長岡」では追悼式典が行われ、空襲を経験した人や地元の子どもたちなど780人が参加し、黙とうや献花が行われました。

続いて、12歳の時に長岡空襲を経験した池田ミヤ子さん(91)が空襲で当時22歳だった姉を亡くした経験などを振り返り「90歳を超えてもきょうだいが生きていたらと思わない日はありません。罪のない人が死んでしまう、これほどむごいことはない」と戦争の恐ろしさを訴えました。

毎年、参加しているという市内の60代の女性は「戦争が起こると一番弱い人が犠牲になる。どの命も平等で大切にしなければならないと改めて思いました」と話していました。

1日は市内各地で追悼行事が行われ、空襲の始まった午後10時半には市内の信濃川の河川敷から白一色の花火が3発続けて打ち上げられるほか、2日と3日は慰霊と平和への祈りを込め、長岡市の花火大会が開かれます。

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