早稲田大学総長や日本高校野球連盟会長を務め、今年5月に亡くなった奥島孝康さんのお別れ会が7月31日、東京都新宿区にある早大の大隈講堂で開かれた。約1100人が参列し、学問、スポーツ、大学団体など幅広い分野で活躍した故人をしのんだ。

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 早大の田中愛治総長は追悼の辞で、それまで早大卒ばかりだった教員人事の改革に挑んだエピソードを披露。「他大学出身者にも門戸を開き、真に優秀な教員による教育や研究を推進した。奥島先生の改革者魂が切りひらいた道が、こんにちの早稲田大学を作り上げた」と述べた。

 奥島さんの後の日本高野連会長を務めた、学校法人同志社の八田英二総長・理事長は「特待生問題で大揺れの高野連のかじ取りを任され、『高校野球は教育の一環』という固い信念のもと、問題解決に奮闘した」とたたえた。自身が会長時にタイブレーク制や投球数制限などを導入したことにも触れ、「(最高顧問だった)奥島先生の力強いバックアップを受けて、改革路線を歩むことができた」と語った。

 愛媛県出身の奥島さんは、宇和島東高校から早大に進学。同大の法学部教授をへて、1994年から2002年まで総長を務めた。さらに08年から15年まで日本高野連の会長を務め、野球特待生の制度化などで指導的な役割を果たした。03年から07年まで朝日新聞社の監査役(非常勤)も務めた。(増谷文生)

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