目黒区立原町小学校の職員室で見つかった「奉安庫」は鉄製で、大きさは幅およそ1メートル、高さ1メートル20センチほど、重さは数百キロあり80年以上前に作られたものとみられます。

「奉安庫」は戦前や戦時中、天皇皇后の肖像写真である御真影と教育勅語を収めていた丈夫な金庫で、戦後、GHQの指令で多くが撤去されました。

しかし原町小学校では撤去されず金庫などとして使われ続け最近では、大リーグの大谷翔平選手から贈られたグローブが児童が使わない時に保管されていました。

ことしになって「めぐろ歴史資料館」の研究員が調査し「奉安庫」と確認されました。

加藤明恵校長は「マグネットで給食の献立を貼るとか、ごく普通に使っていました。長年勤めている職員も皆、貴重なものだとは全く知らなかったので、とても驚いています」と話していました。

「奉安庫」は文京区や台東区でも見つかっていますが、目黒区では初めてです。

当時の教育現場を知る貴重な資料だとして区の歴史資料館で8月1日から一般公開されます。

調査にあたった「めぐろ歴史資料館」の篠原佑典研究員は、「戦前の学校では、緊急の事態の際、御真影や教育勅語の避難は児童よりも、先とされていたほど、学校の中で一番大切なものとされていました。昔の教育や戦争のことを考える資料にしていただければと思います」と話しています。

専門家「戦時下の教育の実態を示す重要な資料」

日本の教育史が専門の日本大学の小野雅章教授は、奉安庫が各地で作られた背景について、「明治以降、御真影や教育勅語が学校に保管されるようになったが、当時の日本の校舎は木造で、火災も多かった。校長が御真影を守ろうと、燃える校舎に飛び込み、殉死するという事例もあった。そうした中で、安全に確実に保管するため、奉安庫は普及していったが、1930年代に天皇の神格化が進み、だんだんと荘厳な形にもなった。各学校や地域が天皇への忠誠心を示すため、独自の予算・計画で作った」と説明しています。

そのうえで、「子どもたちの発達よりも国家の都合が最優先される状況になっていた。奉安庫はその最も端的な事例で、戦前、特に戦時下の教育の実態を示す重要な資料だと思う。また、多くはなくなっているため、貴重で少ない事例だ。当時の教育はどうだったか。それにつながるようなものは現代にはないのか、そういうことを含め、考えていただければと思う」と話しています。

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