開会式まで2日となったパリ五輪。注目されるのが、海外五輪過去最多の金メダル20個を掲げた日本オリンピック委員会(JOC)の目標だ。五輪憲章が国のメダル競争を禁じているにもかかわらず、ナショナリズムへの警戒感は薄い。大会のコンパクト化も進まず、巨費を投じる商業主義は相変わらずだ。コロナ禍で強行された東京大会の教訓はどうなったのか。 (西田直晃、山田祐一郎)

◆「たくさん獲得、それに越したことはない」との声

 目前に迫る開会式。舞台となるセーヌ川にちなみ、「こちら特報部」は24日、東京都台東、墨田区の隅田川周辺で話を聞いた。  JOCは目標として、金メダルを20個、銀、銅も含めたメダル総数を55個と掲げている。達成すれば、いずれも海外開催の夏季五輪では最多となる。

2020年東京五輪の金メダル。左は表、右は裏

 「メダルがたくさん獲得できるなら、それに越したことはないのでは」と語る散歩中の女性(72)。バスケットボール男子の活躍に期待しているという。「五輪出場だけでも大きな快挙と言えるけど、選手が目指してきたのはメダルのはず。他の競技だって同じだし、全体で目標を定めるのはいいと思う」と肯定的だった。

◆「国の代表」選手に重圧なのでは

 だが、五輪憲章は「個人種目または団体種目での選手間の競争」としており、「国家間の競争ではない」とくぎを刺す。「国際オリンピック委員会(IOC)や大会組織委員会は国ごとの世界ランキングを作成してはならない」とも明記している。ベルリン五輪(1936年)がナチス・ドイツの国威発揚に利用された過去もあり、国のメダル競争には警戒の目が向けられてきた。

5日、パリ五輪結団式で団旗を手にするフェンシングの江村美咲選手(右)とブレイキンの半井重幸選手

 木陰で休んでいた大学生の女性(20)は「政治利用の歴史なんて、全く知らなかった」と話す。「選手が五輪の中心にいるべきなので、日本が、国の代表が、とか強調されすぎないほうがいい。周囲が熱くなりすぎると、選手にとって重圧が増すだけ。晴れ舞台なので競技を楽しみながら活躍してほしい」とエールを送った。

◆「東京」やっぱり盛り上がらなかった

 日本がこれまでに最も多くメダルを獲得したのは、2021年東京五輪の総数58個(金27、銀14、銅17)。「知り合いが出場したので、個人的には盛り上がった」と飲食店従業員中村英明さん(38)は話す。とはいえ、「やっぱり世間一般としては、コロナ禍のさなかだったし、通常の五輪ほどは盛り上がっていないでしょう。世界から見ても同じだったと思う」と振り返った。  開幕直前、体操女子の宮田笙子選手(19)が飲酒と喫煙を認め、パリ五輪代表を辞退した。「出場を認めれば、中高生に示しがつかない。こればかりは仕方ない」と中村さん。男性会社員(33)は「ルールを守れない選手に罰則を与えるのは、チームを運営する上では必要」とする一方、「周囲が精神面のフォローをできなかったのか」と国を背負う重圧をおもんぱかった。

◆「国が何個のメダル」全く関係ない

 JOCは、昨年のアジア大会ではメダルの目標数を掲げなかった。パリ五輪でも、尾県貢専務理事は「メダル数だけではないスポーツの価値を伝えることが第一だ」としているが、「応援していただくためには選手の活躍も必要」と、メダル目標を公表した。

5日、パリ五輪で旗手を務めるブレイキンの半井重幸選手(右端)とフェンシングの江村美咲選手(右から2人目)を激励する秋篠宮ご夫妻

 元JOC参事で五輪アナリストの春日良一氏は「本来なら公表する必要はなく、今のJOCが『競技力の向上』しか担っていない証しだ。五輪の意義は、選手たちが平和の祭典に参加し、国境を越えた友情を育むこと。選手個人のもので、国がメダルを何個獲得するかは、本当は全く関係ない」と話す。

◆報奨金「結果重視」につながる懸念

 「五輪憲章は国家間の競争ではないとするが、もはや形骸化している」  奈良女子大の石坂友司教授(スポーツ社会学)は、国別のメダル目標数が掲げられる背景をこう説明する。「世界で国家戦略としてスポーツ政策が進められ、メダル獲得が大きな目的となっている。日本もその流れの中で、メダルを意識しないというのが難しくなってきている」  メダル獲得時の報奨金も、かねて結果重視、ナショナリズム高揚につながることが懸念されている。日本の場合、金メダルでJOCから500万円、銀で200万円、銅で100万円を支給。さらに各競技団体が支給する場合もある。そのうえ世界陸連は4月、パリ五輪の金メダリストに賞金5万ドル(約780万円)を贈ると発表。2028年ロサンゼルス五輪では、銀メダルと銅メダルにも拡大する。

◆清廉のイメージを破壊した東京大会

 石坂氏は「お金を得ることが競技の目的となり、五輪憲章の理念をゆがめかねない。メダル獲得は国家戦略にかなうということになれば、取れない競技は強化が縮小され、立ちゆかなくなる可能性もある」とこの流れを危ぶむ。

山下泰裕JOC会長(2020年撮影)

 五輪が国別参加となったのは1908年のロンドン大会からだ。「国別対抗になったことで五輪がナショナリズム高揚の場となっている。ずっと五輪憲章と根本的な矛盾を抱えたまま引き返せないでいる」と指摘するのは一橋大の坂上康博名誉教授(スポーツ史)。「五輪で選手は何を獲得するのか。目標はメダルしかないのか。メダル至上主義で、取らなかった人と明確な差をつけるが、称賛すべき基準はメダルだけなのか」とJOCに問いかける。  「国民にメダル数を誇示するくらいしかJOCの存在意義がないということだ」と厳しく指摘するのは、元博報堂社員で作家の本間龍氏だ。「東京五輪後の汚職・談合事件であれだけ逮捕者が出て、清き気高き選手たちが集まる場というイメージが徹底的に破壊されてしまった。パリ五輪では、国民一丸となって日本代表に声援を届けようという機運は感じられない」

◆コンパクト化?IOCが変わらなければ

無観客で実施された東京五輪の閉会式=国立競技場で

 それでも今回、バスケットボールやバレーボール、ハンドボールなどチーム競技の予選突破もあり、日本選手団は海外で行われる大会では過去最多の410人。パリ五輪は、世界206の国内オリンピック委員会から1万500人が参加予定で、過去最多だった21年東京五輪の1万1420人と同規模となる。  東京五輪は招致段階で「世界一コンパクトな大会」を掲げたが実現せず、最終的な開催経費は約1兆4000億円と招致時から倍増。国と東京都の負担は約8000億円となった。「競技数もコンパクト化を進めていたが、若年層を取り込むために新競技を導入せざるを得ない。結局はカネ目的のIOCが変わらなければコンパクト化は実現できない」と本間氏は話す。

◆「平和の祭典」と呼べるのか

東京五輪で設置されたモニュメント

 ナショナリズムをあおり、商業主義に突き進む五輪が「平和の祭典」と呼べるのかという指摘も。東京都立大の舛本直文客員教授(オリンピック研究)は「近代五輪で平和は絶対的なお題目であるのは変わらない」としつつ、ウクライナへの侵攻を理由に参加を認めないロシアやベラルーシへの対応と、ガザへの攻撃を続けるイスラエルの参加を認めるIOCの二重基準を指摘する。  国連はパリ五輪期間中の休戦順守を呼びかける決議を採択したが、舛本氏はこう強調する。「IOCが戦争や紛争をなくすきっかけとしてパリ大会を本気で活用しようと考えているようには見えない。休戦順守も形式的なセレモニーでしかなく、分断が広がる世界情勢では何の効果も得られないだろう」

◆デスクメモ

 夜空を染める光と音の演出。大国の選手数に舌を巻き、数人の小国に心揺さぶられる―。恒例の五輪開会式だが、東京大会を経験した今は、巨額の放映権料の源泉だったかと思ってしまう。いっそ純粋な興行やショーにしては? 崇高な衣をまとっても、もう素直に見られそうにない。(本) 

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