およそ悲報は突然届く。精神障害者の当事者団体である全国「精神病」者集団元事務局長で、精神障害者権利主張センター・絆を主宰した山本真理(筆名・長野英子)さんが亡くなった(享年71)。 彼女と知り合ったのは20余年前。心神喪失者等医療観察法制定を巡る取材だった。 心神喪失などの状態で他害行為に及んだため、刑事責任を問われない人への強制治療を定めた法律で、2005年に施行された。事実上の予防拘禁(保安処分)につながるとの懸念から反対論も根強かったが、強行採決された。 その国会審議で山本さんも反対の立場から参考人として発言したが、その言葉に彼女らしさが集約されている。 「(法律の対象者となる人びとは)精神病院の閉鎖病棟の奥深く、あるいは保護室に監禁されています。彼らこそがここに来て参考人として話していただきたい。(私の言葉は)本人抜きの審議に加担した裏切り者の言葉だと受け取られるかもしれません」 当事者第一。権威ある医師や法律家にも物おじしない。それが山本さんだった。 不登校から17歳で精神科病院に入院させられた。病名はうつ病。医師に「だまされ」て、電気けいれん療法を施され、記憶の一部を失った。 22歳で大学入学資格検定を経て早稲田大入学。20代後半に「病」者集団と出会う。 堂々と自らを語る人びとを見て「私も怒っていい、感情表現してもいいんだ」と気づいた。病気を隠さなくてもよい仲間がいた。否定された誇りの回復が促され、それが当事者主義の原点になった。 ときに毒舌を吐いたが、情が深く、舌鋒(ぜっぽう)の鋭さと笑顔の落差が魅力的な人だった。 取材で自宅を訪れた際、彼女の携帯電話は鳴り続けていた。「台所で料理をしているんだけど、包丁で自分を刺しそうになって動けない」。当事者からだった。ゆっくりと話し、緊張を解いていた。 慕われることは大切だが、彼女も当事者だ。激務だったに違いない。北海道の若い活動家が役所に抗議の焼身自殺をしたときは「あまり報じないで」と電話がきた。自殺の連鎖を恐れたためだった。 彼女も立案作業に加わった障害者権利条約は06年に国連で採択された。国連障害者権利委員会は22年に日本を初めて審査し、精神障害者の強制入院を「差別」と断定。関連法規の全廃を要請した。 しかし「精神科病院大国」である日本の状況は変わっていない。近年でも、神戸市の神出病院や東京都八王子市の滝山病院で患者への暴行虐待事件が発覚。「丁寧な治療と社会復帰」を旗印にした医療観察法も施行後、70人以上の対象者が自殺している。 山本さんは数年前にがんで入院した。棺(ひつぎ)の中の顔は二回りも小さくなっていた。 入院中「彼女ならどう考えるだろう」としばしば自問した。自分だけではなかったろう。
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