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    ”鑑定医の育成追いついていない”日本司法精神医学会 理事長

  • 捜査段階の精神鑑定とは-

“捜査段階の精神鑑定” 裁判員制度開始を機に急増

容疑者に精神障害などの疑いがあり、起訴するかどうか判断する前に事件当時の刑事責任能力の有無などを調べる必要がある場合、検察の請求で数か月かけて医師による精神鑑定が行われます。

最高裁判所によりますと、捜査段階の精神鑑定のための「鑑定留置」の件数は、2008年までの10年間は年平均218件でしたが、2009年5月の裁判員制度開始を機に急増し、翌年からおととしまでは年平均527件と2.4倍になっています。最も多かった2021年には、裁判員制度開始前のおよそ3倍の641件の鑑定が行われました。

裁判員裁判では、初公判の前に争点を整理する手続きが行われるため責任能力が争点になるか検証しておく必要があるうえ、刑事責任を問えることを一般市民からなる裁判員にもわかりやすい形で立証しなければならないことが、検察が捜査段階の精神鑑定を積極的に請求するようになった主な要因だと指摘されています。

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”鑑定医の育成追いついていない”日本司法精神医学会 理事長

こうした中、精神科の医師らでつくる「日本司法精神医学会」は、10年前に質の高い鑑定ができる医師を認定する制度を始めましたが、試験に合格し認定を受けたのは、全国に1万6000人あまりいる精神科医のうち54人にとどまっています。

日本司法精神医学会の理事長を務める千葉大学社会精神保健教育研究センターの五十嵐禎人教授は「需要の増加に鑑定医の育成が追いついておらず、知識や経験が浅い医師が携わる機会が増えた結果、質が疑問視される鑑定も散見されるようになった。質の高い鑑定ができる精神科医の養成は重要な課題で、それが刑事裁判の質を高めることにもつながる」と指摘しています。

捜査段階の精神鑑定とは-

刑法では、事件当時精神障害などの影響を受けて物事の善悪を判断できない「心神喪失」の状態だと、責任能力がないため不起訴にしたり無罪を言い渡したりしなければならず、物事の善悪を判断する能力が著しく衰えた「心神こう弱」の状態だと、責任能力が十分ではないとして刑を軽くしなければならないと、定められています。

このため、容疑者に精神障害などの疑いがあり、起訴するかどうか判断する前に事件当時の刑事責任能力の有無などを調べる必要がある場合、検察の請求で裁判所が精神科医に嘱託し、勾留を停止したうえで、容疑者を拘置所や病院、それに警察などの施設に収容して数か月かけて精神鑑定を行う「鑑定留置」という手続きが行われます。

8年前に相模原市の知的障害者施設で入所者19人が殺害され職員を含む26人が重軽傷を負った事件、5年前に京都アニメーションのスタジオが放火されて社員36人が殺害され32人が重軽傷を負った事件、それに、おととし、奈良市で演説中の安倍元総理大臣が銃で撃たれて殺害された事件などでも、起訴前に鑑定留置が行われました。

精神鑑定では、面接を繰り返し行って生い立ちや生活状況を聴いたり、心理検査や知能検査などを実施したりして、精神障害があるかどうか診断します。

さらに、供述調書や防犯カメラの映像などの膨大な捜査資料を検証し、精神障害が、事件当時の判断や行動、それに善悪を判断する能力にどのように影響したかなどを判断して鑑定書にまとめるため、通常の臨床とは異なる知識や一定の経験が必要とされます。

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「鑑定の質」疑問視されるケースも

需要の増加に担い手の育成が追いついておらず、中には「鑑定の質」が疑問視されるケースもあるとして、専門家は危機感を募らせています。

日本司法精神医学会の理事長で、これまでに40件以上精神鑑定を担当してきた、千葉大学社会精神保健教育研究センターの五十嵐禎人教授は「以前なら鑑定していないような事例でも、鑑定依頼が来ることがある。裁判員制度が始まってから、責任能力の判断は難しく精神障害はよくわからないので疑われる事例は念のために鑑定しておこうという考え方が検察官にも裁判官にも広がっていて、そのために件数が増えているのだろう」と述べました。

そのうえで「増えた需要を満たせるだけ質の高い鑑定医が育っているかという点が懸念されていて、知識や経験が浅い医師が鑑定を頼まれる機会が増えた結果、やったことがない人がいきなり難しい事件の鑑定を担当するケースもあるようだ。臨床医としては優れた技量を持っているだろうし臨床的な精神医学の報告としては良いが、犯行に対する影響の分析がずれている鑑定例もある。臨床とは異なる刑事事件の精神鑑定の特性をよく知らないまま鑑定を行う医師が散見される」と指摘しました。

さらに「刑事事件の精神鑑定は、経験豊富な先生の助手をしながら徒弟制度的に経験を積んで身につけていくものだったが、今の体制ではそういう機会はなかなかない。精神鑑定に興味があっても、そのための研修や教育をどこで受けられるか知らないという人もいるので、若い医師の研修の場やその成果を認定する制度が必要だ。質の高い鑑定ができる精神科医の養成は学会としても重要な課題で、それが刑事裁判の質を高めることにもつながる」と話していました。

人材育成の取り組み 現場は

こうした事態を受けて、人材育成の取り組みを進めている大学もあります。

川崎市にある聖マリアンナ医科大学では、おととしから月1回程度のペースで、ベテランの精神科医が中堅や若手を集めて実際の事件や裁判を題材に事例検討会を開いています。

指導しているのは、20年ほど前からこれまでにおよそ100件の精神鑑定を行ってきた安藤久美子准教授で、今月17日に開かれた検討会では、関東地方で起きた殺人未遂事件について医師など4人と議論しました。

この中で安藤准教授は、鑑定の際の質問のしかたやうそをついたり黙り込んだりする相手への接し方などを、みずからの経験を交えながら話していました。

安藤准教授は「精神鑑定というと、アレルギー症状が出て自分にはできないと考えたり、重大事件の容疑者や被告との面談に危険を感じたりして、及び腰になる若手が多いので、鑑定を一緒にやってくれる後進を育成したいと思って開催している。どんなことをやっているのかブラックボックスになっていると思うので、まず鑑定助手を経験して精神鑑定がこんなものだということを知って敷居を下げてもらいたいし、鑑定面接の手法が日常の臨床にも役立つと実感してもらえたら、やってみたいという医師が増えると思うので、そうした魅力を伝えていきたい」と話していました。

参加した若手の女性医師は「もともと興味があったものの、自分の地元ではやっている先生がいなくて、通常の臨床とはかけ離れた世界なのかなと思っていたが、参加してみて、臨床にも通じるポイントがたくさんあり、司法精神医学を学ぶことで臨床をより深めていくこともできると思った。精神鑑定ができる人を増やしていかなければいけないというのは、切実な問題だと思う」と話していました。

また、若手の男性医師は「鑑定助手として面接に入った事件が題材だったので、いい振り返りができた。うちの教室は、司法精神医学や鑑定面接をやっている先生が複数いてこうした検討会ができるが、どこにでもいるわけではないので、恵まれた環境だ。以前よりもこの分野に興味が湧いているので、これまで学ばせてもらったことをいかして、今後は自分でも精神鑑定をやっていければと思う」と話していました。

これまでに数件鑑定を経験している男性医師は「精神鑑定は、容疑者や被告の運命を決めるもので、社会的なインパクトが大きく、訂正がきかないものなので、正直言って、常々、本当にこれでいいのかと悩んでいる。こういう会が定期的に行われているのは非常にありがたいし、鑑定の質を高めていくことに大きく影響してくると思う」と話していました。

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容疑者や被告の精神鑑定をめぐる問題や、精神障害によって「責任能力がない」と判断された加害者の治療と社会復帰をめぐる問題、さらに被害者や遺族が抱える課題について、引き続き取材していきます。

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