地域おこし協力隊と聞くと「都市からの若者」をイメージするが、実際はいろんな人がいる。山陽小野田市で隊員になった林茂夫さんは、元職がミャンマーのテレビ司会者という酸いも甘いもかみ分けた還暦男性だ。限界集落に身を置き、地域と自らの可能性を探っている。

 6日午前6時45分ごろ、林さんは自宅の目の前にある「ゆめ市場川上」に出勤した。地域で運営する農産品の直売所だ。開くのは7時だが、もう数人の客がいて、林さんはコーヒーを振る舞っていった。

 キャベツ1玉、袋入りのジャガイモ、30センチ近いキュウリ5本。地元の農家が育てた野菜はどれも100円。間もなく、店舗裏の公民館でついたばかりの餅も並び始めた。

 林さんは市北部の川上地区担当として2023年6月に着任した。90人足らずの限界集落で、30代の前任者は半年もたずに退任した。

 「地区の労働力として認めてもらい、信頼を勝ち取る」。そう決めた林さんは、市が用意した中心部の住宅への入居を断り、30年ほど空き家だった川上地区の古民家の一室で暮らす。

 60歳の林さんは、平均年齢が70歳に近い川上では「若手」だ。農作業や「ゆめ市場」の手伝い、道の草刈りなど、体を動かす機会が多い。昨年の豪雨では自宅も浸水しながら、被害を受けた家などの清掃に汗を流した。地域の新聞「川上通信」をつくり、月に1回、行事の情報や隊員としての活動を回覧板で全戸に届ける取り組みも始めた。

 長門市の出身。半導体、情報通信など様々な分野の起業と経営に携わってきた。順調だったが、07年に立ち上げたCM会社でつまずいた。赤字が膨らみ、離婚するなど八方ふさがりに。

 その後、知り合いの会社に頼まれ、ミャンマーでの投資先を探す現地の事務所長として乗り込んだのが12年のこと。投資先は見つからなかったものの、軍事政権との折衝からできたコネクションを生かし、ミャンマーの国営放送で日本製品を売るテレビショッピングの番組を立ち上げ、自ら出演もした。ミャンマー人と再婚したが、政情不安のため、夫婦で18年に帰国した。

 しばらく、東京で日本酒の海外販売に携わるなどしていたが、山口に住む母親の認知症が進み、故郷に戻らなければならなくなった。県内で仕事を探し、目に留まったのが川上地区の隊員募集だった、というわけだ。

 着任にあたって、林さんは「出しゃばらない。住民が『余計』と感じそうなことはやらない」とも決めた。ただ、長年のキャリアは自然に物を言う。

 その一つが地区のイメージロゴマーク。音楽関係の仕事をしていた縁で、高等専修学校「東京表現高等学院 MIICA」から声がかかり、共同制作が実現した。いくつかのデザイン案から川上地区の住民が選んだロゴマークは、「めぐみ、ほほえみ、かわかみ」がコンセプトで、自然の恵み、みんなの愛、笑顔を表すもの。餅やお菓子など、地元で作る加工品のパッケージに使われ始めている。

 川上地区自治連合会長の村上邦秀さん(74)は4月、市役所を訪れて藤田剛二市長にロゴマークの完成を報告した。「行動力と企画力、こんなところにはもったいない」と評する林さんに、「これからも新しい着眼で何かを進めてほしい」と期待を寄せる。

 会社や組織で働き続けている同世代は多い。一方で再就職できず、あるいは役職を離れて人に使われ、もんもんとしている人たちも知っている。

 だから、林さんが地方で、地域に根ざして暮らすのは同世代へのメッセージでもある。「こういう生き方もあると伝えたい。50代、60代へのヒント、道しるべになれるかな」(青瀬健)

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