嘉納治五郎、体協立ち上げ

1911(明治44)年 大日本体育協会(現日本スポーツ協会)が柔道創始者嘉納治五郎(1860~1938)の尽力により創立。嘉納は「体育の振興体制が欧米に比べ劣っており、青少年の体格も劣弱」と日本の現状を憂い、体協設立をスポーツ関係者に呼び掛けた。翌12年のストックホルム五輪は嘉納を団長として日本は初参加を果たした。嘉納はアジアで初めて国際オリンピック委員会(IOC)委員を務め、40年の東京五輪招致にも成功。しかし、日中戦争の長期化などで開催を返上し、幻の東京五輪となった。

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その他の出来事

象潟(きさかた)地震で潟湖(せきこ)消滅

1804年(旧暦:文化元年6月4日) 秋田と山形の県境付近の日本海沿岸でマグニチュード7.0の地震が発生。土地が2メートル程度隆起し、潟湖(せきこ)に小さな島が点々と浮かぶ秋田県の名勝「象潟九十九島(きさかたくじゅうくしま)」は湖底が地面に変貌。水田として開墾され、水に浮かぶ小島は小さな丘となった。

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世界最大のタンカー「日章丸」進水

1962(昭和37)年 民族系石油精製「出光興産」グループの原油タンカー「日章丸三世」(13.9万トン)が佐世保重工業佐世保造船所で進水。当時としては世界最大級だった。出光は、66年には世界で初めて20万トンの壁を破る「出光丸」を建造し、マンモスタンカー時代の幕開けを演じた。

ウルトラマン第1回を放映

1966(昭和41)年 特撮テレビ番組『ウルトラマン』第1回目「ウルトラマン前夜祭 ウルトラマン誕生」がTBS系列局で放送された。特撮シーンの撮影が間に合わず、番組キャンペーンとして都内で開催したウルトラマンと怪獣の着ぐるみショーの模様を放送する苦肉の策だったが、視聴率34%の上々の滑り出しとなった。

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国枝慎吾選手、生涯ゴールデンスラム達成

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