【神奈川】コメディアンの萩本欽一さん(82)が、伊勢原市で「欽ちゃん寺(でら)」づくりを進めている。まだ第一歩の段階だが、将来的には桜の花が咲き満ちて、訪れた人が笑顔で楽しめる場を目指すという。

 この地を選んだきっかけは、「学友」である地元の住職との縁だった。萩本さんは2015年、73歳で駒沢大学仏教学部に入学した。その時、同じ教室で学んだ一人が能満寺(同市三ノ宮)の住職、松本隆行(りゅうこう)さん(51)だった。クラスメートの年齢はバラバラだったが、仲良し。年上の萩本さんを「欽ちゃん」と呼び、共に勉学に励んだ。

 履修を終える際、松本さんは欽ちゃんに頼み事をした。能満寺の新しい本堂ができるので、一筆書いて欲しいと。その後1年以上も音沙汰がなく「忘れたのかな」と思っていたが、本堂完成の1カ月前に直筆の書が届いた。「過ぎ去る平成 新たな門出の能満寺 苦労も工労と書けば 工夫も楽し」。松本さんはその文字を石碑に刻んだ。

 翌20年8月、欽ちゃんから連絡が入る。妻のスミちゃん(澄子さん)が亡くなった。「松本くん、お経を上げてもらえるかな……」。伊勢原から欽ちゃんの自宅がある二宮町に駆けつけた。

 スミちゃんは自宅近くの墓地に入ったが、欽ちゃんにはこんな思いがあった。「亡くなったっていうのは、好きじゃない。ずっと生き続けていると考えたい。桜の木になって生き続け、家族がお花見に来て笑ってくれたらうれしいなあ。そんな寺があったら」。松本さんは、能満寺の末寺である高岳院の敷地ならば実現できるのではないか、と提案。「欽ちゃん寺」の計画が動き始めた。

 今月14日には海を望む高岳院で植樹式が開かれ、地元の人たちが集まる中、欽ちゃんが夫婦桜(2本の八重桜)の苗木を植えた。目指すお寺について欽ちゃんは「骨を埋めるのではなく、その人の歴史を埋める場所にしたい。言葉を残し、それを読んだ人が笑って、幸せになれる。そういう場所をつくろう」。

 昨年除幕した石碑には、タレントの関根勤さんの「スルンと生まれて ピロンと生きてきました」などの言葉が並ぶ。敷地の一角にはスミちゃんへの思いを込めた「情黙弁財天」を納めたお堂が立つ。仕事ばかりの欽ちゃんを黙って見守ってくれた妻の情を「情黙」という言葉で表現した。

 欽ちゃん自身も今、植樹のために100本の桜の苗木を育てている。門前に店をつくる夢もあり、すでに数軒の店主が手を挙げている、という。

 式典であいさつに立った松本さんは「早く桜を満開にしたい」と話した。(中島秀憲)

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