<裁かれる差別 7.3 強制不妊訴訟最高裁判決>③  「こんなことがあっていいのか」  2019年5月、仙台地裁。旧優生保護法下の強制不妊手術を巡る訴訟で全国初の判決を聞いた原告代理人の新里(にいさと)宏二弁護士(72)は頭が真っ白になり、絶句した。旧法を違憲と断じながらも、不法行為から20年で損害賠償請求権が消滅する「除斥期間」を適用し、国の賠償責任を否定した。国策による重大な人権侵害が、時間の経過で門前払いされた瞬間だった。

これまでの裁判での闘いを振り返る新里宏二弁護士

◆被害者からの相談に驚愕

 一連の訴訟の先駆けとなった仙台訴訟。きっかけは13年、仙台市内であった無料法律相談会だった。  はじめは別の相談をしていた飯塚淳子さん(仮名、70代)が「16歳の時に説明もなく、子どもが産めなくなる手術を受けさせられて」と打ち明けた。障害はないのに知的障害者施設に入れられた後、手術を強いられたという。  今は全国に広がった訴訟の弁護団共同代表を務める新里さんだが、多重債務問題などが専門。当時は旧法をよく知らず、驚愕(きょうがく)した。国策によって「不良な存在」とさげすまれ、尊厳を奪われた人を放ってはおけない。手探りで救済に向けて動いた。

◆自治体は手術記録を廃棄「国賠訴訟をやるしかない」

 ところが、宮城県は飯塚さんの手術記録を既に廃棄しており、調査は難航した。市民団体が国に謝罪と補償を求めていたが、国に動く気配はなかった。  「国賠訴訟をやるしかない」。18年、飯塚さんと別の女性が仙台地裁に相次いで提訴。これが呼び水となり、各地で提訴が続いた。  しかし、「時の壁」が救済を阻んだ。  初判決となった飯塚さんら2人の手術は1960~70年代で、提訴時点で被害から40年以上がたち、除斥期間が適用される20年を大きく超えていた。

最高裁判所

 旧法下で約2万5000人が受けた不妊手術のピークは50~60年代。多くの人は説明なく手術され、そもそも自分がどういう処置を受けたのか知らないまま長期間が過ぎた。差別や偏見の中で提訴に踏み切るハードルも高い。「除斥期間の適用は不当」との新里さんの主張は届かず、国の賠償責任を認めない判決が続いた。

◆流れを変えた大阪高裁判決

 流れが変わったのは、22年2月の大阪高裁判決。原告らは強制不妊手術の実態を知ることや相談機会を得ることが困難で、除斥期間の適用は「著しく正義・公平の理念に反する」とし、初めて国に賠償を命じた。その後、各地の地裁、高裁で同様の判断が11件出た。新里さんは「当事者が声を上げ続け、裁判官も被害と向き合い救済を考えるようになった」とみる。  今年5月の最高裁大法廷での弁論。国側は、除斥期間が過ぎたことを前提に、被害者への一時金支給法が成立したと主張した。除斥期間を盾に賠償を拒否する姿勢に、新里さんは「国は加害者だという事実から逃げている」と怒りがこみ上げ、拳を握りしめた。  最高裁に期待するのは、飯塚さんら原告だけの救済ではない。「国が問題を放置したことで当事者は実態を知ることができず、声も上げられなかった。そういう被害実態に見合った判断をしてほしい。すべての被害者救済につながるように、国を動かす判決を」

 除斥期間 法律上の権利を使わないまま過ぎると自動的に消滅するまでの期間。権利関係を速やかに確定する目的とされる。最高裁は1989年、「不法行為から20年を経過したとき損害賠償請求権が消滅する」との判断を示した。最高裁が除斥期間を認めなかったのは、予防接種の後遺症で寝たきりになり22年間提訴できなかったケース(98年)と、殺人事件の遺族が26年間事件発生すら知らなかったケース(2009年)の2件だけ。戦後補償や公害訴訟で「時の壁」として立ちはだかってきた。20年施行の改正民法で、権利消滅の期間が先延ばしできる場合がある「時効」に統一されたが、改正前に起きた案件には適用されない。

 ◇  ◇ <裁かれる差別 7.3 強制不妊訴訟最高裁判決>  「戦後最大の人権侵害」と言われる強制不妊手術を巡る訴訟で、最高裁が7月3日、初めての判決を言い渡す。被害の実態や背景にある問題を当事者らの証言から迫る。 連載① 恐怖で泣き叫ぶ中、強制不妊手術が始まり…当時12歳の女性の人生は国に狂わされた
連載② 「あなたの子」を欲しがる妻に隠し続けた…強制不妊手術 自治体による軽薄すぎる「推進」の歴史
連載③ 強制不妊の被害者救済を阻む「時の壁」は崩れるのか 20年の「除斥期間」を盾に国は賠償を拒否し続け…(この記事) 

鄭重声明:本文の著作権は原作者に帰属します。記事の転載は情報の伝達のみを目的としており、投資の助言を構成するものではありません。もし侵害行為があれば、すぐにご連絡ください。修正または削除いたします。ありがとうございます。