かつてハンセン病患者が強制隔離されていた国立療養所「菊池恵楓園」(熊本県合志市)で第2次大戦中から戦後にかけて、開発中の薬を投与する試験が入所者に繰り返され、強い副作用や死亡例が確認された後も続いていた。園は24日、試験の詳細や経緯をまとめた調査報告書を、園内の「臨床倫理及び人権問題委員会」に提出した。報告書は「当時の医師らの医療倫理のありかたに疑問が持たれる」としている。

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 薬剤は「虹波(こうは)」。報告書の基礎資料で、朝日新聞が開示請求で入手した文書資料によると、感光色素であるクリプトシアニンを成分とした薬剤で、旧陸軍が凍傷ややけどの治療など寒冷地での作戦への応用に着目し、熊本医科大(現・熊本大医学部)の波多野輔久教授に研究を委託した。結核患者に投与し患者が回復した例があったため、結核菌と近縁のらい菌が原因のハンセン病にも効果の期待がかかった。

 園の宮崎松記園長(当時)も研究に加わり、1942(昭和17)年12月から臨床試験が始まった。

 宮崎園長らが記した試験の結果報告によると、43年10月までの10カ月間に6歳の子どもを含む371人に虹波が投与された。

 記録によると、投与中に9人が死亡。うち7人は肺結核や急性肺炎、出血性黄疸などが死因で、残る2人は「死因には疑問がある」とされ、虹波の投与との相関を疑う記述がある。

 投与は、1週間に1回0.1ミリグラムから1日1回120ミリグラムまで投与の頻度や量を変えたほか、内服や皮下注射、皮膚に塗るだけでなく、脊髄(せきずい)、肛門や膣(ちつ)への注入など様々な方法で試した。結果、「効果有り」が81.9%、「無効」16.4%、「増悪」1.6%とされた。

 副作用については、倦怠(けんたい)感、結膜の充血など眼の障害、疼痛(とうつう)、発疹、知覚異常、めまい、吐き気などの訴えがあった。

 宮崎園長らが戦後に記した研究経緯のまとめによると、入所者は43年以降(臨床試験への)抵抗を示すようになったが、投与は続けられた。44年3月からの期間の試験では有効性を示すデータに乏しく、「有効」2.8%、「副作用」22.8%という結果。理由を探るために虹波の投与試験は戦後の47年6月まで行われた。

 報告書では、計476人が被験者として確認された。初期には全入所者の3分の1を占める大規模な試験だったという。(大貫聡子、吉田啓)

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