名古屋市名東区の民間戦争資料館ピースあいちに、1945年5月に戦死した元愛知一中(旭丘高校の前身)生徒の手紙と父親の日記が残されている。元生徒は、同中の3~5年生全員が志願した「愛知一中海軍予科練総決起事件」(43年7月)の参加者の一人だった。当事者や家族の思いとは何だったのか。記録を元にした朗読会が23日、名古屋市で再び行われる。

 同事件は日本軍の守備隊が全滅したアッツ島での玉砕直後に起こった。割り当ての15倍近くとなる、一中3~5年の約700人全員が志願した「快挙」として当時の朝日新聞などで報道された。

 別の元生徒が戦後、まとめた記録「積乱雲の彼方に」(81年)によると、校長や教諭から発奮を求められ、生徒は異常な興奮状態となり、「潔く死にたい」と激烈な言葉が飛び、全員が志願を表明した。実際には願書を出さなかったり、不合格になったりしたが、56人が入隊し、特攻などで5人が亡くなった。生き残った生徒も仲間を裏切ったことになり心に傷を負った。

 ピースに残っているのは、同中3年で志願した鈴木忠熙さん(45年5月、16歳で戦死)が入隊後、家族にあてた60通のはがきと、父親信保さん(54年、49歳で死去)の日記。忠熙さんの実弟の隆充さん(88)が2011年に寄贈した。

本音を隠し、建前を…伝わってくる当時の様子

 「積乱雲の彼方に」では、合格通知に「しまった」という表情をしたとされる忠熙さんだが、軍に検閲されたはがきは「みんな愉快」「不自由なし」と元気な文面ばかり。家族を気遣い、幼い弟妹には読み仮名つきやカタカナだけで書いている。

 父の日記は、忠熙さんに後で見せるため、留守中の日々を書いたもの。「我が子をお国に捧げ、肩身も広し」などと、「積乱雲の彼方に」で描かれた家族の苦悩とはまるで違う。忠熙さん入隊の寸劇が演じられた町内の会合に1500人も集まった様子もつづられ、本音を隠し、建前を通さざるを得なかった当時の様子が伝わってくる。

 本や手紙、日記をもとに朗読会の構成・演出をしたのは元南山国際高校教諭馬場豊さん(70)。ピースに寄贈された直後にその内容を知り、「積乱雲の彼方に」とのトーンの違いに衝撃を受けた。当時、一度上演したが、ウクライナ戦争や日本の政治家の有事についての発言を聞き、「もう一度、あの戦争についてみんなに考えてほしい。本人の無念、家族の心情は何だったか」と考えた。今回はプロジェクターで遺品の手紙や日記、写真も写すほか、終了後、馬場さんが解説する。

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 朗読会は23日午前11時、午後2時半の2回公演。名古屋市昭和区八雲町70の神言神学院(チャペル)で。愛知芸術文化センタープレイガイドで前売り券を発売しており、一般1千円、中高生500円。問い合わせは馬場さん(090・9195・6981)。(編集委員・伊藤智章)

戦死した鈴木忠熙さんの実弟隆充さん(88)の話

 生徒を志願させろと、当時、軍から校長たちにものすごいプレッシャーがかかっていたらしい。兄の本当の心情は分からない。純真な気持ちもあっただろうが、あの雰囲気のなかで、途中から「嫌だ」とは言えなかったのだろう。両親は死の危険を知っていて、「行くな」と説得したと思う。大けがをして両足を切断して復員した兄の同級生を戦後、見舞ったこともある。本当は優しい兄だった。父が日記や手紙を大事にしていた。大事に保存してほしいと思ってピースあいちに寄贈した。

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