知的障害者って、「かわいそう」なの?
ヘラルボニー共同創業者である双子の文登さん崇弥さんには4歳年上の兄・翔太さんがいる。重度の知的障害を伴う自閉症で、子どもの頃から、「かわいそう」と哀れみの視線を向けられるのを感じてきた。兄が「かわいそう」と言われない社会にしたい!そんな思いから2人は立ち上がった。
起業のきっかけとなったのは、障害のある人の作品を中心に展示する岩手県花巻市の「るんびにい美術館」を訪れたことだった。それまでに観たことのない、緻密な線と鮮やかな原色で彩られた絵画や、執拗(しつよう)なまでに細い線でいくつも同心円を描いたキャンバスなど、強烈なインパクトのある作品ばかりだった。「この素晴らしい作品を、もっと多くの人に知ってもらいたい。そして、素晴らしさに見合う報酬を得られる仕組みをつくりたい」という思いを、2人は共有したという。
日本では、「障害者は国からの補助金や支援を前提で生きている人」というイメージが定着している。そのため、どんなに芸術的なセンスにあふれて、素晴らしい作品を生み出しても、注目されることはなく、哀れみの対象になってしまいがちだ。
「福祉」の枠組みで運営されている障害者向けの就労支援施設は、役務の提供(労働)を求めているわけではなく、支援することに主眼を置いている。そのため、重度障害者が多く利用する施設での2021年度の平均工賃は、月額1万6507円(厚生労働省調べ)で、自立して暮らしていくにはほど遠い額だ。
日本を代表する前衛芸術家・草間彌生さんが、少女時代から統合失調症による幻覚や幻聴に苦しめられてきたことはアートファンの間では広く知られている。しかし、誰も彼女のことを「障害のある芸術家」とは呼ばない。草間彌生ワールドを説明するのに、もはや病名も障害というレッテルも不要だ。
「知的障害」というひとくくりの言葉にも、無数の個性がある。生み出される作品も、繊細を極めるものもあれば、大胆な構図と色づかいが魅力のものもある。ヘラルボニーでは、作品を生み出す人たちを「異彩作家」と呼ぶ。
「ヘラルボニーが障害のあるアーティストの作品を、価値あるものとして社会に届け、イメージの変容を促したい。異彩作家の作品なくしては、われわれが食べていけない、という逆の価値観を社会に提示できれば、すごいイノベーションになると思っています」と、文登氏は静かな口調で、壮大なプランを語ってくれた。
松田文登さん
自閉症の兄・翔太さんが小学生の時に繰り返しノートに書いていた謎の言葉が社名の由来。「価値がないように思われているものを、価値あるものにしたい」との思いが込められている
障害者と社会を結ぶネクタイ
文登さんと崇弥さんは、「るんびにい美術館」で受けた衝撃や感動を、多くの人に伝えたいと、アート作品のデザインを生かした商品を作ろうと考えた。障害者と社会とを「結ぶ」象徴として、最初に取り組んだのがネクタイだ。
といっても、アパレルとは無縁のずぶの素人が、いきなりネクタイを製造販売しようとしても、まともに相手をしてくれる業者は簡単に見つからなかった。何社も何社も門前払いされた後に、老舗のネクタイ専門店「銀座田屋」の工場に直談判に行くと、2人の熱意が通じ、製造を引き受けてもらえることになった。田屋にとっては、創業以来初めての他社商品の製造受託になったという。「障害=欠落というイメージを変えるためにも、最高品質の商品からスタートできたのはうれしかった」
細やかな糸使い、織りの技術が光るHERALBONY ART NECKTIE
ネクタイの商品化実現を皮切りに、ヘラルボニーは他社との業務提携を加速させる。日本航空(JAL)の国際線の機内食のスリーブ(紙帯)、ヨネックスのスノーボード、東海旅客鉄道(JR東海)が運営する東海道新幹線・東京駅の切符売り場や改札内のスロープなどに、異彩作家のアートが採用された。
日本橋三越本店のショーウインドーにエルメスやルイ・ヴィトンなどのスーパーブランドと並んでヘラルボニーの商品がディスプレイされたこともあった。他にも、家具やアパレル、食品・飲料などの商品やパッケージに、異彩アートが起用された事例は、年間100を超える。
契約作家・工藤みどりさんのアートでラッピングされた岩手県北バスの路線バス
コラボ商品で認知度をアップ
通常、アートで収益をあげるには、ギャラリーで展示会を開催して作品を販売するのが定石だ。しかし、ヘラルボニーは作品を多くの人の目に触れる機会をつくって、収益機会を増やせるように、ライセンシング・ビジネスを展開している。
カワトク百貨店(盛岡市)のヘラルボニーショップ
「ウォルト・ディズニーのミッキーマウスが世界中であらゆるジャンルの商品に登場するように、ヘラルボニーを介して、作品契約作家の作品を広め、ブランド価値を高め、継続的に収益を得られる仕組みにしたい」という文登さん。
現在、ヘラルボニーが保有するライセンスは、国内外37の社会福祉施設でアート活動をする153作家による2000点以上のアートデータだ。パートナー企業はデザインを使うたびに、ヘラルボニーに使用料を支払い、そこから作家や福祉施設に報酬が支払われる。
盛岡市内のHOTEL MAZARIUMのアートルーム。全38室のうち8室がヘラルボニーの契約作家の作品で彩られる。アートルームの宿泊費のうち1泊500円がアーティストに支払われる
拡張したいのは「市場」ではなく「思想」
「ヘラルボニーは、ネクタイや商品を売りたいのではなく、障害福祉の領域の中に新しい選択肢をつくりたい。市場を拡張するよりも、“障害があっても、当たり前に肯定される世界を” という思想を拡張したい。その思想が拡張した上で、新しい市場ができあがる土壌をつくりたい」と文登さんは強調する。
たとえば、ヘラルボニーが各地の百貨店で開催する、異彩作家によるライブペインティングでは、アーティストたちが本能にまかせて自由に絵を描く姿が感動を呼ぶ。
「電車やバスの中で知的障害者が奇声をあげる場に遭遇するくらいしか障害者との接点がないと、怖がられて、差別や偏見が助長されてしまったように思います。リスペクトが生まれる状態で彼らと出会えれば、認識に変化が生まれてくるはずだと信じています」
京都の藤井大丸百貨店で開催したライブペインティング。驚きのスピードで作品を仕上げる契約作家の衣笠泰介さん(ヘラルボニー提供)
「親なき後問題」とも向き合う
文登さんがヘラルボニーの活動に手応えを感じた始めたのは、2019年12月。ダウン症の八重樫季良さんのアートでJR花巻駅の164枚の窓ガラスをステンドグラスのようにラッピングすると、岩手日報が「地元の芸術家、花巻駅を彩る」と報じた。「障害者」ではなく「芸術家」と紹介されたことに、八重樫さんの家族や施設関係者も喜んでくれた。
また、ある異彩作家の家族から「今年は(ライセンス料などで)400万円の収入があったので、確定申告をします。私たちが扶養されるという冗談のような話が現実になるかもしれません」と感謝の手紙が届いたという。
知的障害者の親の多くは、自分たちの死後、子どもが社会に受け入れられ、経済的に困窮することなく暮らしていけるか不安を抱えているという。福祉的な支援の枠組みの外側で生きる場所を見つけることができれば、親としても心強いはずだ。
自身のアートでラッピングされたJR花巻駅前に立つ、今は亡き八重樫季良さん (ヘラルボニー提供)
世界を舞台に
ルイ・ヴィトンなどを傘下に持つフランスの高級ブランドLVMHが主催し、世界の有望なスタートアップ企業を表彰するアワードで、ヘラルボニーは2024年「従業員体験とダイバーシティ&インクルージョン」カテゴリー賞に輝いた。6部門で89カ国から、1545社の応募があった。日本企業が同アワードを受賞したのは初めて。
アワードの受賞を経て、ヘラルボニーはLVMHの事業支援プログラムのサポートを受けて、海外事業を本格化させる。7月には初の海外拠点としてパリに現地法人を設立する。
また、今年、国内外の障害のあるアーティストを対象にした「HERALBONY ART PRIZE 」(公募期間は終了)を創設した。
「異彩作家が国内外で活躍の機会を得るための登竜門となるように、HERALBONY ART PRIZEを成長させていきたい」と意気込みを語る、ヘラルボニーアートチームの玉木穂香氏(写真右)
審査員には、パリでアール・ブリュット専門のギャラリーを経営するクリスチャン・バースト氏や、東京藝術大学の日比野克彦学長などを迎え、受賞作・入選作の展覧会を、国内最大級のギャラリー・三井住友銀行東館アース・ガーデン(東京)で開催する。
審査員を務めるバースト氏は「ヘラルボニーはアート作品そのものを販売するだけでなく、ライセンシングすることで、より多くの人に彼らの作品が普及できるようなビジネスを展開をしている。身内に障害者がいることもあり、もうけ主義に走るのではなく、障害者に真に寄り添う誠実な経営だ。パリでも、ぜひ、新風を吹き込んでほしい」とエールを送る。
子どもの頃、兄に向けられた「かわいそう」の言葉への違和感がすべての始まりだった。最も身近な家族への思いから出発したヘラルボニーは、いま、新しい文化を生み出そうとしている。「障害者」を「かわいそうな存在」と思いこんでいる人たちが、ヘラルボニーを介して異彩作家の才能に触れることで、認識を変える。そんな未来は近いと文登さんは思わせてくれた。
撮影:三輪憲亮
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