関心を持つきっかけづくりに

東京都渋谷区の閑静な住宅街に、ひときわ目を引く建物がある。高くそびえ立つミナレット(塔)と大きなドーム。「東京ジャーミイ」と呼ばれる、オスマントルコ様式のモスク(イスラム教徒の礼拝堂)だ。ムスリムではない人々も多く訪れ、若い女性たちは「インスタ映え」すると、しばしば写真を撮って発信するという。イスラム教の戒律に従った製品であることを示す「ハラル認証」を取得した食品などを販売するショップもあり、大勢の人でにぎわう。


東京・渋谷の住宅街に立地する東京ジャーミイ。大きなドームとミナレット(塔)が特徴だ

「礼拝時に横一列に並ぶのは、人間は神の前では皆きょうだいで、差別してはいけないというメッセージです」。美しいステンドグラスなどで飾られたドーム内に、東京ジャーミイで広報を担当する日本人ムスリム、下山茂さんの声が響いた。ムスリムの多いマレーシアなどへの修学旅行の事前学習のために訪れた、さいたま市立大宮北高校の生徒を前に、イスラム教の礼拝や作法を説明する。


東京ジャーミイのドーム内。美しいステンドグラスなどの装飾が施されている

アラビア数字やカメラの原理など、ムスリムが生んだ身近なものを例に挙げながら、生徒の興味を引き寄せていく。緊張をほぐしてから、イスラム教の歴史的な背景や考え方を語り始める。

引率した同校の芝田祐真教諭は「生徒のイスラム教へのイメージが変わったようです」と話す。「まずイスラム教に関心を持ち、知ってもらう」ことに意を注ぐ下山さんの変わらぬスタイルは、自身の体験からきている。

自分の感動を伝えたい

19歳のとき、早稲田大学の探検部に所属し、ナイル川の流域踏査隊の一員としてアフリカ・スーダンを訪れた。日本から持参した最新鋭のテントや簡易ベッドでは現地の暑さに対応できず、やむなく現地の村々で宿を求めた。そこで受けた厚情がイスラム教の教えに基づくものだと知り、それまで抱いていた「イスラム教徒は怖い、厳しい」といったネガティブなイメージが覆された。

帰国後、イスラム教を知れば知るほど、それを伝えたいという思いが強くなり、27歳で入信した。「イスラムの世界に触れた僕の感動を、日本の人に伝えたかった」。書籍を読み、礼拝や断食など身体を通じた「修行」を重ねるうちに、自身に変化が現れた。「あれほど嫌いだった宗教が素晴らしいものだとの思いが自分の内側から出てきた。信仰心によって自分自身が強くなっていくのを感じた」

経験からあふれ出る強い思いは、75歳の今も変わらない。「だから、今でも修行中です。日本人のハート(心)にイスラム教という世界宗教がタッチできるかどうかを、僕は試行錯誤してやっている」

日本のムスリム人口は増えているが…

日本のムスリムに詳しい早稲田大学の店田廣文名誉教授(社会学)の調査によると、日本に住むムスリムは2020年時点で約23万人。「500人に1人がムスリム」となる計算で、10 年間で倍増した。このうち日本国籍を持つのは約4万7000人と推計されている。モスクの建設も全国で進み、1999年の15カ所から2024年4月時点で133カ所に増えたという。

店田名誉教授は、こうした現状を受け、結婚、出産で改宗、入信する人が増える傾向にあると指摘。最新のデータから日本のムスリム人口を「30万人に近づいているのではないか」と推測する。

東京ジャーミイでも入信式、結婚式が増えている。それに伴い、ムスリムとの結婚を巡って、改宗するかどうかの選択に悩む相談が絶えない。イスラム教への偏見によって周囲から反対され、改宗をためらうのだ。相談にはいつもこう答える。「相手を好きになって、ムスリムにならないといけないなら、なればいい。踏み切れないのは、あなたに偏見があるから。ムスリムになる前に、あなた自身がイスラム教に対する偏見をなくさないといけない」

日本のムスリム人口は拡大しているが、下山さんは01年の米同時多発テロなどを機に高まったイスラム教批判を念頭に、「バイアスのかかった欧米メディアの影響で、不幸にして日本人のイスラム教への理解は進んでいない」と嘆く。イスラム教を正しく理解し、偏見や差別をなくそうと、メディアなどあらゆる場で言葉を尽くすのは、そうした問題意識があるからだ。


東京ジャーミイの見学に訪れた高校生にイスラム教について説明する下山茂さん

偏見や差別解消のために力を発揮してくれると、下山さんが期待するのが大学生、高校生ら若い世代だ。23年に東京ジャーミイを見学、研修で訪れたのは、大学が63校、高校はおよそ100校に上った。下山さんは「大きな存在であるイスラム世界をもっと知りたいという学生、教師が増えている。イスラム世界を知らないと世界全体が分からないということに気付きつつある」と手応えを感じている。

アジアの中心的なモスクへ

イスラム教徒の増加は世界的な傾向だ。米調査機関ピュー・リサーチ・センターが22年12月に発表した推計によると、20年の世界の宗教別人口構成は、キリスト教徒が約23億8000万人(世界人口比31.1%)で、イスラム教徒は約19億700万人(同24.9%)だった。50年にはキリスト教徒は約29億1800万人(同31.4%)、イスラム教徒は約27億6100万人(同29.7%)に達し、ほぼ並ぶとみられている。(※1)

また、20年におけるイスラム教徒の数は、中東・北アフリカ地域が約3億8100万人であるのに対し、アジア・太平洋地域は約11億4000万人と推計されている。イスラム教が誕生した中東よりも、アジア・太平洋地域にムスリムが多いのだ。同地域から東京ジャーミイを訪れるムスリム旅行者は、この10年間で飛躍的に増加しており、今後も増え続けるとみられる。

下山さんは「東京ジャーミイは、もっとアジアの人々が行き交う『アジアのモスク』になる」と語り、「グローバルな普遍的宗教」の中心地として、東京ジャーミイの役割はますます高まると期待を寄せる。


イスラム教への正しい理解の必要性を訴える下山茂さん

イスラム教が日本に根付くかどうかは未知数だが、下山さんは日本でイスラム教について発信する意義を訴える。「無知は偏見を生み、偏見は差別を生む。だから、日本人がイスラム世界の良き理解者、良きパートナーとなって共に歩んでくれるかが大事なのです。かといって、僕はイスラム教徒になることを期待しているのではありません。外見が違っても、人と人とは同じだという視点を育んでほしい」

写真:土師野幸徳撮影(ニッポンドットコム編集部)

(※1) ^ Pew Research Center. “Religious Composition by Country, 2010-2050.” Pew Research Center, December 21, 2022.

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