少年たちを指導する車いすバスケットボール日本代表の香西宏昭さん(右端)=東京都品川区日本財団パラアリーナで
◆月2回の「アカデミー」、競技トップ目指す「ネクスト」
「ディフェンスもっと激しく」「惜しい、良い形だったよ!」 5月下旬、品川区の日本財団パラアリーナ。攻守の練習に励む若い選手への指導に、長く日本代表として活躍する香西(こうざい)宏昭さん(35)の熱が入る。東京パラリンピックの翌年、拠点としていたドイツから帰国。現役を続けながら後進育成に携わっている。 パラスポーツが注目されるようになり、各地で体験会が開かれるようになった。だが、興味を持った子が練習を続けられる場所はほとんどない。そこでチームは昨春、競技力を上げたい子どもたちを集め、月2回の「アカデミー」を始めた。今春には、一層の高みを目指す子を対象に、チームの選手登録もする「ネクスト」を立ち上げた。◆12歳で競技を始めたとき、メンバーは大人しかいなかった
この取り組みには、香西さんの経験も影響している。生まれつき両脚がなく、12歳の時に千葉県の自宅近くのチームで競技を始めたが、メンバーは大人ばかり。その後、車いすバスケの名門チームがある米イリノイ大に編入し、同世代と刺激し合う機会に恵まれた。「逆に言うと、米国に行かないとできなかった。今も状況は変わっていない」練習する尾作誠英さん=東京都品川区の日本財団パラアリーナで
ネクストには中高生5人が在籍する。埼玉県白岡市の中学1年尾作誠英(おざく・せいえい)さん(12)は、6歳の時に悪性リンパ腫の影響で下半身がまひした。車いすバスケを本格的に始めたのは小学4年生のころ。うまくなりたいと昨春、アカデミーに参加し、日本代表入りを目標にネクストへ移った。◆消えた劣等感、世界駆ける夢語るようになった中学生
小中とも普通学級に通っているが、競技を始めるまでは同級生のように動けないことへの劣等感があった。今は、「一緒じゃなくていい。個性を尊重するのが大切」と言い切れるほど自信が付いた。選手として紹介するチームの交流サイト(SNS)などを、喜んで友人らに見せている。練習する合間に笑顔を見せる尾作誠英さん=東京都品川区の日本財団パラアリーナで
障害がある子どもたちにさまざまな体験を提供するNPO法人AYA(東京)の代表で、医師の中川悠樹さん(40)は、尾作さんの変化に目を見張る。出会って1カ月ほどだった昨年3月、一緒に訪米し、プロバスケットボールNBAの試合を観戦した。初めての海外を機に、尾作さんは英語を熱心に学び始め、日本代表として世界を駆け回る夢を語るようになった。 中川さんは、普段の生活で映画などにもなかなか行けない障害のある子どもたちに、ちょっとした外出を「夢」にしてほしくないと言う。「日本代表になるとか、世界で活躍するとかが夢。当たり前に大きな夢を持ってほしい」。尾作さんの夢を応援している。車いすバスケットボールの競技環境 日本車いすバスケットボール連盟の登録チーム数は71、人数は774人(4月時点)。健常者150人を含む。子ども向けプログラムを開いているチームもあるが、ほとんどが体験の機会提供にとどまる。練習場所の確保は、地域の既存団体との競合や、車いすの床への影響を懸念される場合もあり、容易ではない。日本財団パラアリーナは2018年、障害者スポーツ専用体育館として完成。東京パラリンピック後に閉鎖予定だったが、練習環境の提供や競技普及のため運営を継続している。
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