太平洋戦争の沖縄戦を指揮した日本軍第32軍の牛島満司令官の辞世の句を、陸上自衛隊がホームページ(HP)に掲載してきた問題が波紋を広げている。沖縄の地元紙が報じ、戦前の皇国史観に基づく句の掲載が、日本軍と自衛隊の連続性を示し、戦争を美化していないかと懸念されている。台湾有事を念頭に、自衛隊の増強が進む沖縄が投げかける問題を、識者とともに考えた。(岸本拓也)

日本軍第32軍の牛島満司令官の辞世の句が掲載された陸上自衛隊第15旅団の公式ホームページ

◆防衛相「歴史的事実を示す資料として」

 辞世の句は「秋待たで 枯れ行く島の 青草は 皇国の春に 甦(よみがえ)らなむ」。那覇市に拠点を置く陸自第15旅団の公式HPに、2018年から掲載されてきた。牛島司令官は1945年の沖縄戦で持久戦を続ける方針を決め、追い込まれた本島南部で6月23日に自決したとされる人物だ。  今月3日に琉球新報が報じた後、4日の参院外交防衛委員会で経緯を問われた木原稔防衛相は「第15旅団の前身である臨時第1混成群が、昭和47(1972)年度に作成した部隊史を基にしたもの。歴史的事実を示す資料として掲載する意図だった」と答えた。  なぜ、句の掲載が問題視されたのか。沖縄戦では住民約9万4000人を含め、20万人超の犠牲者が出た。沖縄国際大の石原昌家名誉教授(平和社会学)は「牛島司令官は、軍人と役人、一般人が一緒になって天皇のために命をささげる『軍官民共生共死の一体化』の方針を打ち出した。この考えを貫いた作戦によって、沖縄戦では戦闘員より一般住民に多大な犠牲を生んだ」と、その責任を問う。

◆「国体護持のため住民を『捨て石』にした司令官」

 牛島司令官が1945年5月に首里の司令部を放棄し、住民が密集避難する南部へ撤退したのは象徴的という。「住民を盾にする形で米軍を迎え撃つ作戦に変えた。これ以後、米軍の攻撃死のほか、日本軍による住民の防空壕(ごう)追い出しや幼児の毒殺・絞殺、住民をスパイ視して虐殺するなど住民の死者が増えた。国体護持のために住民を『捨て石』にしたのが牛島司令官だ」

沖縄戦「慰霊の日」の未明、黎明之塔を献花に訪れた自衛官=2020年6月23日、沖縄県糸満市の平和祈念公園で

 共同通信は5日夜、第15旅団が辞世の句を削除しない方針を明らかにしたと報じた。自衛隊史に詳しい中京大の佐道明広教授は「戦前のような軍隊にならないという考えでつくられてきたのが、戦後の自衛隊。沖縄の本土復帰後に配備され、不発弾処理など地道な活動を続け、県民に受け入れられてきた」と述べる。旧軍との連続性を疑わせるような句の掲載について「県民の信頼を損なうマイナス影響しかない」と断じる。

◆「旧日本軍との関係を断ち切れず」

 沖縄県平和委員会の大久保康裕事務局長は、第15旅団が2004~21年、慰霊の日に合わせて牛島司令官らをまつる糸満市摩文仁の「黎明(れいめい)之塔」に集団参拝を続けてきた経緯と、今回の問題を重ね合わせる。「自衛隊は、旧日本軍との関係を断ち切れていない。対米従属が実態の中で皇軍を美化し、心のよりどころとしているのではないか」  今年1月に陸自幹部らが靖国神社を集団参拝し、4月には陸自部隊がSNSで、アジアへの侵略戦争を正当化する文脈で使われることが多い「大東亜戦争」という表現を用いて、削除された。自衛隊と日本軍とのつながりを想起させる出来事は続いている。  前出の石原氏は「HPに掲載したのは、沖縄の『戦場化前夜』という局面を念頭に、自衛隊員に、牛島満の『最後まで敢闘せよ』という精神を継承させようという強い意思の表れだろう」と感じている。「辞世の句は、皇国の存続しか念頭になく、住民の犠牲は何ら省みられない。沖縄戦の悪夢を呼び覚ますもので、一刻も早く削除すべきだ」 

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