<旧優生保護法(1948〜96年)下で不妊手術を強制されたのは憲法違反だとして、全国の障害者らが国に損害賠償を求めた5件の訴訟の上告審弁論が29日、最高裁大法廷(裁判長・戸倉三郎長官)で開かれた。原告側は「被害者みんなの人生を救う判決を書いてください」などと訴えた。国側は請求棄却を求め、結審した>
上告審弁論に臨む原告の小林宝二さん(右)と陳述に使用するイラスト
◆手話での訴え、手話通訳者が声に
車いすで出廷し、15人の裁判官と向き合った。「子どもを捨てられ、子どもが生まれない手術もされ、差別に苦しんでも辛抱するしかなかった人生を、どうか理解してください」。手話での訴えを、手話通訳者が声にする。 時折、隣の代理人弁護士が紙芝居のようにめくる16枚のイラストに目を向けた。子どもの頃に手話を禁止され、口の動きを読むことを強いられて育った。文章を読むのが苦手になり、弁護団や支援者が過去の出来事の場面を絵に描き、メモ代わりにした。 学校や職場で、障害を理由にいじめや暴力を受け続けた。1960年に喜美子さんと出会い、結婚。まもなく妊娠が分かり、2人で跳び上がって喜んだ。◆泣き続ける妻、下腹部には大きな傷
翌日、帰宅すると喜美子さんの姿がない。数日後に戻ると泣き続けた。「赤ちゃん」「捨てた」。理由は「分からない」。下腹部に大きな傷があった。 2人の母親が相談して手術を決め、説明もなく受けさせたと判明した。詳細が分からず、2人は中絶手術だと考えた。子どもができず、つらく、寂しかった。 不妊手術も受けていたと分かったのは、2018年。全日本ろうあ連盟の調査を通じ、旧法の存在と、多くの障害者が手術を強制されたと知った。「こんな差別を絶対に許さない」。国に損害賠償を求め、同年に夫婦で提訴した。◆「どうしても自分で言葉を届けたい」
22年、喜美子さんは病気のため89歳で亡くなった。翌23年の大阪高裁判決は、不法行為から20年で損害賠償請求権が消える「除斥期間」の適用を認めず、国に賠償を命じた。 全国12地裁・地裁支部で起こされた同種訴訟で徐々に、被害者が声を上げることの困難を踏まえ、除斥期間を適用しない判断が増えた。最高裁が判断するのは今回が初めて。小林さんは病気で入退院を繰り返しながら「どうしても自分で言葉を届けたい」と大法廷に向かった。 弁論を終え「喜美子が天国で見守ってくれていた」と胸をなで下ろした。「私が生きているうちに、この問題をすべて解決してほしい。差別がない社会に一歩でも近づくよう、最後の最後まで頑張りたい」 ◇◆最高裁法廷、障害のある傍聴者らに配慮
旧優生保護法下での強制不妊手術を巡る上告審弁論で、29日の最高裁の法廷に手話通訳者が配置され、通常は2人分の車いす利用者の傍聴席が12人分に増やされた。裁判長を務める戸倉三郎長官が発言のたび「裁判長から発言します」と説明したり、原告や被告に「ゆっくり大きな声で発言」するよう求めたり、障害のある原告や傍聴人への配慮が見られた。(中山岳)旧優生保護法下での強制不妊手術を巡る訴訟の上告審弁論が開かれ、最高裁大法廷内に設置された大型モニター(左)と要約筆記用モニター
傍聴人に配られた、裁判の争点などをまとめた資料には、ふりがなと点字があった。目の不自由な滝修さん(65)=東京都江戸川区=は「点字の資料は分かりやすかった。審理でも裁判官や弁護士が名乗った上で発言し、内容をよく理解できた」と話す。 車いす利用者の能松七海さん(22)=東京都小平市=は「障害の特性に応じて、情報を得られるよう配慮されていた」と評価。ただ、裁判所内の移動に不便を感じたといい「段差にはスロープが設けられていたが、傾斜が急で狭かった」と語った。◆手話通訳者と要約筆記者は原告側が手配
法廷内の手話通訳者と要約筆記者が、原告側の手配だったことには批判もあった。傍聴した「脳性まひ者の生活と健康を考える会」代表で、脳性まひで車いすを使う古井正代さん(71)=大阪市西成区=は「法廷で必要な手話通訳者を裁判所が用意するのは当たり前。当たり前のことができていない」と憤る。 最高裁によると、午前の審理には一般傍聴用144席を求めて335人が、午後は134席に317人が集まった。車いす利用者は、午前は希望する12人全員が傍聴できた。午後は14人が希望し、抽選で外れた2人が傍聴できなかった。 鄭重声明:本文の著作権は原作者に帰属します。記事の転載は情報の伝達のみを目的としており、投資の助言を構成するものではありません。もし侵害行為があれば、すぐにご連絡ください。修正または削除いたします。ありがとうございます。