目の前に広がっていた能登半島地震被災地の景色は、13年前に見た故郷・岩手県釜石市の風景と重なった。同市出身で東日本大震災を機に防災士の資格を取った浅田久美さん(60)=石川県珠洲(すず)市=は、能登半島地震発生時の自分の対応を「災害支援どころか、出遅れて何もできなかった。情けない」と振り返る。悔しさをにじませる一方で、重量挙げの指導者として若手の育成に力を注ぐことで地域貢献をと決意を新たにしている。(木戸佑)

練習を終えた子どもらを見送る浅田久美さん(左から2人目)。後ろには仮設住宅を建てるための重機などが並んでいた=石川県珠洲市野々江町で

◆「3・11」被災の故郷・釜石に珠洲が重なる

 能登半島地震が発生した元日、夫の浩伸さん(53)と実家の釜石から車で珠洲へ戻るところだった。家族や教え子に電話で高台に避難するよう伝えた。高速道路が通れず、自宅に戻れたのは1月4日夕方だった。  13年前は珠洲から支援のために釜石へ向かった。今回は「道を進んでいくと倒壊した家屋が増えていき、道路の亀裂が激しくなる。釜石の津波被害の光景と違ったが、近づくにつれ被害がだんだんひどくなっていくのは同じ」。かつての故郷の姿が思わず重なった。

◆実家が津波に飲まれ防災士になったが…自問自答

 女子重量挙げの先駆者として、世界選手権など国際舞台で活躍した。女子日本代表監督として五輪などでも指揮をとった。2009年から夫の故郷の珠洲市で暮らし、地元の飯田高校ウエイトリフティング部監督やクラブチーム「SUZU DREAM CLUB(スズドリームクラブ)」代表としても活躍する。  東日本大震災では実家や親戚の家が津波にのまれた。その経験から珠洲市総務課危機管理室の防災支援員も務めた。講習会では地域の高齢者らに津波被害の映像を使って怖さを伝え、珠洲の子どもらを釜石市や岩手県陸前高田市などへ連れていったこともある。「今回の地震では、津波で亡くなった人もいる。自分の活動は十分だったのか」

◆「珠洲の宝」教え子たちの頑張りを、地域のチカラに

 復興に向け、今まで以上に人の結び付きが大切だと考えている。ある教え子は地震直後、避難所まで高齢男性を背負って逃げたという。日頃から思いやりを持って地域の人と接すれば、大切な命が救われることがあることを実感した。  4月に入ってからは、重量挙げも教え子全員で練習を再開した。親戚が犠牲になった部員もおり、明るく練習しているが「いつか心の傷が爆発してしまうのではないか」と気がかりだ。今回の地震では防災士として課題も残ったが、指導者として将来を考える。  「教え子や子どもたちは珠洲の宝。部活動ができる環境をつくってくれた家族や地域の人に感謝しようと伝えた」。指導する重量挙げのチームが一丸となって世界を目指すことが、珠洲の原動力になると信じている。 

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