◆瀬田さん宅は取り壊され、今は住宅が立ち並ぶ
板橋資産家夫婦放火殺人事件が起きた現場=2009年、東京都板橋区で
事件は09年5月24日深夜から25日未明にかけて発生。東京新聞「こちら特報部」は15年後の今月25日早朝、現場を訪れた。 東武東上線中板橋駅から南西に400メートル離れた住宅街。広大な敷地の瀬田さん宅は取り壊され、数十軒の一戸建て住宅が立ち並ぶ。「森みたいな家だったのに、今では事件を知る人もほとんどいなくなった」と長男。様変わりした風景に時の流れを痛感するという。 事件の日は激しい雷雨の夜だった。翌日の午前、経営する電気工事会社から連絡があったときは実感が湧かなかったが、現実と受け止めるにつれ「心がズタボロになった」という。◆再婚の前、母と暮らした池袋のアパート
夫妻はともに再婚。長男は10歳まで池袋の小さなアパートに住み、近くの飲食店で働く千枝子さんに女手一つで育てられた。きょうだいはおらず、実父の経済的な援助はなかった。事件への思いを話す千枝子さんの長男=中部地方で
「『母親でも、父親でもあるから』と、母は私に言い聞かせていた。いつも働いていた」と懐かしそうに振り返る長男。「食べ物、洋服、おもちゃ。何も不自由しなかった。当時は今よりも母子家庭に偏見が強かったが、忙しい中でも必ず学校行事に来てくれたし、おかげで一度もいじめられなかった」。たまの休みにカラオケを歌い、自立心が強靱(きょうじん)な、弱みを見せない明るい性格だった。 再婚後、瀬田さん宅で暮らし始めた。当時は「居心地が悪かった。母と2人が幸せだったから」。都内の高校を卒業後、千枝子さんの親戚がいる中部地方に単身で移った。◆「できることなら犯人の顔をこの目で見たい」
就職と結婚を経て、2人のわが子が生まれると、瀬田さんに抱いていた複雑な感情も変化したという。「私の子どもたちを東京タワーに上らせたり、羽田空港で飛行機を見せたりしてくれた」。その後も年末年始、夫妻との行き来は続いた。 事件の1カ月前、最後に千枝子さんと会った際には「一緒に暮らしたい」と打診された。「分かった」と返答したが、思ってもみない形でその計画は実現しなかった。「もっと早く私の家に呼べばよかった」との後悔が消えない。 発生から15年が経過し、「犯人が本当に捕まるのかと疑ってしまう」との思いにさいなまれる。「でも、できることなら犯人の顔をこの目で見たい」。伏し目がちに語気を強めた。 ◇ 自宅が全焼したこともあり、事件に携わった捜査関係者は「物証が少ない事件だ」と悔しさをかみ殺す。事件直後の警視庁の調べでは、発見された瀬田さんは普段着、千枝子さんは靴をはいた外出着だったといい、犯人は室内の瀬田さんを殺害後、帰宅直後の千枝子さんを襲った可能性が高いという。警視庁は目撃情報を求めている。通報は板橋署=03(3964)0110=へ。 鄭重声明:本文の著作権は原作者に帰属します。記事の転載は情報の伝達のみを目的としており、投資の助言を構成するものではありません。もし侵害行為があれば、すぐにご連絡ください。修正または削除いたします。ありがとうございます。