有馬温泉の泉源のひとつ天神泉源(森川徳敏さん提供)

 神戸市の有馬温泉は、枕草子に記され、豊臣秀吉もたびたび訪れた古くからの名湯です。しかしまた「謎の温泉」とも呼ばれます。周辺に火山がないのに90度以上の熱いお湯が湧き出すからです。熱の源は何なのか。最近になって、地下深くから湧き上がる「深部流体」と呼ばれる熱水が鍵だと分かってきました。深部流体は、火山の噴火や能登半島の群発地震とも関係しているというのです。 (永井理)  草津、箱根、別府など有名な温泉地の多くは活火山のふもとにあります。下呂温泉も約10万~12万年前に活動した火山の近くです。地下のマグマが高温の湯を生むのです。火山のない地域では、雨水や海水がしみこんだ地下水が地熱で温まっても40~50度が限界といいます。有馬温泉が熱いのはなぜでしょう。  お湯に含まれる元素の研究などから興味深いことが分かってきました。有馬の湯はもとは太平洋の水だというのです。

北海道で採取された泥岩の標本。黒い岩の中を深部流体が流れた跡が白く残る=茨城県つくば市の産業技術総合研究所で

◆沈み込む岩盤

 まず全体を眺めましょう。日本はユーラシアプレートという岩盤の上にあります。その下には、太平洋の海底をつくる二つの岩盤(太平洋プレートとフィリピン海プレート)が、日本海溝と南海トラフを境に沈み込んでいます。  フィリピン海プレートは日本に到達するまでに1500万~数千万年、太平洋プレートは1億年以上かけて少しずつ海底を移動してきます。その間に岩盤は海水と反応して水を取り込みます。例えば角閃石(かくせんせき)と呼ばれる鉱物のように、結晶の中に水の成分を含んだ岩石ができるのです。  岩盤が沈み込むと、深さとともに温度や圧力が上がります。そして350度以上になると、水を含んだ鉱物が別の鉱物に変化し、そのとき結晶内の水を放出します。この水は「スラブ水」と呼ばれます。スラブとは沈み込んだプレートの別名です。プレートは、ベルトコンベヤーのように太平洋の水を日本の地下深くに運んでいるのです。

◆深さ60キロから

 有馬温泉の話に戻りましょう。湯に含まれる元素のヘリウム3とヘリウム4(ともにヘリウムの同位体元素)を調べると、地殻には少なくマントルに豊富なヘリウム3が、マントルと同程度に多く含まれていました。  産業技術総合研究所(産総研)の森川徳敏・深部流体研究グループ長は「これは有馬温泉の湯がマントルを通ってきたことを示している」と話します。リチウムや塩素などの濃度からも地下深い高温の場所から来たことが示されます。有馬の湯はスラブ水がマントル中を上昇して湧き出たと考えるとつじつまが合うのです。火山がないのに熱い湯が出ることも説明がつきます。  「フィリピン海プレートが沈み込んでいる西日本では、深さ60キロぐらいまでに岩盤のほとんどの水が出る」と森川さんは説明します。その深さがちょうど有馬温泉の付近なのです。森川さんらの研究で、神戸周辺や紀伊半島にもヘリウム3を多く含む「有馬型」の温泉がいくつもあることが分かっています。

◆東北では火山に

 一方、太平洋プレートが沈み込む関東や東北では様子がかなり違います。太平洋プレートは海底を1億年以上かけて移動するので岩盤が冷やされてフィリピン海プレートよりも冷たいのです。そのため、より深い100キロ程度まで沈まないとスラブ水を出す温度になりません。  地下深くで放出されたスラブ水は、千度以上の高温のマントルと出合います。マントルは水によって溶けて液状になります。これがマグマです。このマグマが上昇して地上に噴き出すと火山になります。だから東北や関東では、多くの火山が日本海溝と平行に並んでいるのです。  この地域では60キロ程度の深さではスラブ水が出ないため有馬型の温泉はありません。そのかわり、上昇したマグマから再び水(マグマ水)が放出され、それが地上に出てくると火山のふもとにある温泉になります。  このスラブ水やマグマ水を深部流体と呼びます。有馬温泉の謎を明らかにすることは、東北や関東の火山の成り立ちを理解することにもつながるのです。

◇「スラブ水」上昇 群発地震誘発か
◆千年分の量

 火山だけではなく、能登半島で2020年ごろから起きてきた群発地震も深部流体の影響ではないかと考えられています。しかし「北陸や中部地方の地下は複雑」と同グループの中村仁美・上級主任研究員。東から沈み込む太平洋プレートの上に、南からのフィリピン海プレートが重なっているからです。  地震観測などによると、フィリピン海プレートは白山(岐阜・石川県境)付近の火山群までで能登には達していません。計算機シミュレーションでは、能登半島の地下では東北と同様に太平洋プレートからスラブ水が出ていると考えられます。  白山火山群や東北のように火山ができないのは「フィリピン海プレートの存在が邪魔をしてマントルの温度構造が特異になっているから」と中村さんは説明します。能登の地下ではマントルがマグマをつくるほど高温にならないのです。スラブ水のままで上昇して地殻変動や地震を引き起こしているようです。  京都大の研究グループは能登半島に上昇してきた深部流体の量は東京ドーム約23杯分と試算しました。中村さんは「プレートの沈み込みや脱水の速度から考えてスラブ水およそ千年分の量」とみています。ただ、常に上昇しているのか、ある程度たまったら上昇するのか、詳しいことは分かっていません。  能登の群発地震は結果的に能登半島地震(マグニチュード7・6)につながり大きな被害を出しました。深部流体は、身近な温泉から地震や火山活動にまで影響する重要な存在です。しかし深い地下の様子は直接調べることが難しく、まだ分からないことが多くあります。  ◇   産総研の地質標本館(茨城県つくば市)では深部流体の研究成果をまとめた特別展示「プレートテクトニクスがつくる なぞの温泉『深部流体』」を9月1日まで開催中。入場無料。


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