東京は、下町が壊滅的な被害を受けた昭和20年3月の東京大空襲のあとも、4月から5月にかけてアメリカ軍による空襲が続き、中でも5月25日は赤坂や青山など広い範囲が焼かれて3000人以上が犠牲になり「山の手空襲」と呼ばれています。
空襲から79年となった25日、東京 港区の表参道の交差点の一角にある追悼碑では、献花を行う催しが開かれ、集まった遺族や空襲を経験した人などのほか、通りがかった人も花を手向けて手を合わせ、犠牲者を悼みました。
近くに住んでいるという小学6年の男子児童は「このあたりも焼け野原になったと最初に聞いた時はありえないと思いました。二度と悲惨なことが起きないようにと祈って、花を手向けました」と話していました。
15歳の時に空襲に遭い、父親を亡くした泉宏さん(94)は「一緒に逃げていた人たちもばたっと倒れて、亡くなっていきました。あの火の中をよく逃げたものだといまだに思います。戦争は終わったあとも孤児が必ず生まれ、悲惨ですし、復興までとても大変です。想像することが大切で、若い人にも知っておいてほしいです」と話していました。
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