能登半島地震で被害が出た能登空港では、ことし1月末から、羽田との間を結ぶ便を1日1往復、週3回に限定し運航してきました。
その後、復旧工事が進み空港までの道路状況も改善したため、15日から羽田便を1日1往復、毎日運航することになりました。
毎日の運航となって初めてとなる羽田からの便は、15日午前9時50分ごろ乗客46人を乗せて能登空港に到着しました。
東京からボランティアで来たという男性(19)は、輪島市に住んでいる幼稚園の時の教諭と連絡を取り合い、教諭の住む地区のがれきの撤去作業を行うということです。
男性は「ふだん仕事もあるので、毎日運航しているとスケジュール調整がしやすくボランティアにも来やすいので助かります」と話していました。
羽田便を運航している全日空によりますと、地震の前は1日2往復していたということで、今後、復興の状況をみながら、もとの便数に戻すかどうか検討するということです。
全国で唯一の「防災道の駅」空港
能登空港は国土交通省に「防災道の駅」に指定されている全国で唯一の空港で、能登半島地震が発生した当時も、空港に残された人たちや避難してきた人たちの支援など対応にあたっていました。
防災道の駅とは
「防災道の駅」は全国に1200か所以上ある道の駅の中から、一時避難所や物資の集積地、救助活動の拠点としての機能を備える道の駅を指定するもので、全国に39か所あります。
都道府県が策定する広域的な防災計画の中で防災拠点に位置づけられていることや、建物の耐震性が高く停電対策や十分な水などが備蓄されていること、さらに2500平方メートル以上の駐車場スペースがあることなどが条件に定められています。
能登空港はこうした条件を満たしているとして、3年前に全国の空港としては初めて「防災道の駅」に指定されました。
能登空港 地震当時の対応は
能登半島地震が発生した時は、元日とあって空港には羽田に向かうための搭乗客や見送りの家族が多く訪れていたのに加え、周辺の道路が寸断されたことで行き場を失った車や観光バスが空港に避難してきました。
空港関係者によりますとその数は600人に達したといいます。
空港では、能登空港ターミナルビルの職員と全日空の社員合わせて20人ほどで、およそ600人の支援にあたることになりました。
能登空港によりますと地震の直後に空港では電気が止まったほか、縦2.5メートル、横2.1メートルの窓ガラス4枚が落下して割れるなど危険な状況だったということです。
このため全員を空港の駐車場へ避難させましたが、夜になって気温が下がると職員たちは高速バスや観光バスを避難場所として活用したほか、近くのレンタカー会社からも車を無償で提供してもらい、エンジンをかけて暖を取ったといいます。
全日空能登空港所長の嶽承子さんは「職員たちはみんな避難者たちが無事に戻ってもらうことだけを考えて働いていた。避難者たちも苦情や混乱もなく落ち着いていた」と振り返ります。
大きな助けとなったのは能登空港の地下にためられた雨水で、およそ500トンありトイレに使用することができたといいます。
また、倉庫には十分な量の乾パンや飲用水などが備蓄されていて、600人におよぶ避難者たちに提供することができたということです。
一方で停電や自家発電装置が作動しないなどのトラブルもあったということで、空港関係者は今回の地震対応を教訓に、関係機関と協力して災害時にさらに強じんな機能を発揮するために検討を進めたいとしています。
能登空港ターミナルビルの前田正彦代表取締役専務は「設備があるからといって安心していたが、それが被災することまで想定していなかった。いつ災害が来るかわからないという気持ちでもう1回点検し、直すべきところを直して対応していきたい」と話していました。
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