歌手になりたかったわけではなく、ただ歌が好きだった。ふとしたきっかけで誘われ、87歳になった4月、初めてCDを作った。「『もう年やから、嫌』じゃなく、チャンスがあったらつかむことが大事。夢のようです」

 三重県伊賀市緑ケ丘南町の橘易子(やすこ)さんは京都市伏見区の出身。小学校や中学校で合唱クラブに入った。30歳を過ぎて、鉄道部品を製造する事業所で働く敏晴さんと結婚し、伊賀市に。パートで働きながら、楽しみは公民館やカラオケ喫茶で歌うことだった。

 モットーは歌詞を読み込むこと。「作詞者の心がじんじんとわかってくる。メロディーはそれからです」

 きっかけは3年前。カラオケのレッスンを受けていた日本音楽振興会(東京)の講師、寺島伸一さんから、CDデビューを勧められた。昨年会った会長の蘭(らん)一二三さんに「86歳やのに、かまへんの」と尋ねると、こう返された。「86歳で歌えるのがいい。ポップスも演歌も歌えるし」

 今年3月、東京のスタジオで4時間がかりで3曲収録した。慢性貧血によるめまいのため、髄液を取る検査をしたばかり。腰が痛んだが、「キャンセルしたら、CDを出せなくなるかも」と我慢した。

 曲は「思い出にしないで」、「漁火(いさりび)悲しや」、「風と雲と星たち」。多くの著名歌手に曲を提供しているたきのえいじさんや蘭さん、寺島さんが作詞・作曲した。

 4月、CD1千枚が届くと、3年前に87歳で亡くなった敏晴さんの仏前に供えた。「お父ちゃんの世話は大変やったけど、カラオケに行くことに何も言わんかった。CDはお父ちゃんのお陰。ありがとう」

 曲はカラオケでも配信される予定。「生で歌うチャンスがあれば、喜んで歌います」。次の夢は自分の詞で歌を作ること。少しずつ歌詞を書きためている。(小西孝司)

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