白井義男が初のボクシング王座
1952(昭和27)年 後楽園球場でのNBA世界フライ級王座戦で挑戦者白井義男がダド・マリノ(米国)に判定勝ち、日本人初のプロボクシング世界王者となった。銀座のジムで練習中、連合国軍総司令部(GHQ)に勤務する生物・生理学者でボクシング指導者のアルビン・カーン博士に認められて指導を受ける。1949年、フライ級、バンタム級の2つの日本タイトルを奪った後、世界チャンピオンとなり、4回防衛したが、54年、王座陥落。55年のリターンマッチでも敗れ、現役を引退した。
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その他の出来事
佐久間象山、松陰の密航未遂で連座
1854年(旧暦:嘉永7年4月23日) 門人の吉田松陰がペリー提督の黒船に乗り込み米国に密航しようとして失敗した事件に連座して、佐久間象山が逮捕された。象山は欧米列強の極東進出に強い危機感を抱く一方、西欧に対抗するには、まずその科学技術を導入する必要があると考え、暗に松陰に密航を勧めた。象山は信州松代に蟄居(ちっきょ)を余儀なくされたが、64年、幕命を受けて上洛。公武合体・開国進取を説き、攘夷派に暗殺された。
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六大学野球が戦後再開
1946(昭和21)年 太平洋戦争中、1943年から中止されていた東京六大学野球が春季リーグ戦として再開。神宮球場が連合国軍総司令部(GHQ)に接収されていたため、前半戦は当時、東京都杉並区にあった上井草球場で、後半戦は後楽園球場で行われた。戦後最初の優勝校は慶応。東大が健闘、歴代最高順位の2位だった。
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科学技術庁が総理府に設置
1956(昭和31)年 総理府の外局として科学技術庁が設置された。原子力・宇宙開発などの最先端科学技術の研究開発を促進するのが目的。国務大臣が長官を務めた。2001(平成13)年、中央省庁再編に伴い、文部省と統合されて文部科学省となった。
是枝監督の『万引き家族』がカンヌ最高賞
2018(平成30)年 第71回カンヌ国際映画祭で、是枝裕和監督の『万引き家族』がコンペティション部門最高賞(パルム・ドール)を受賞。親の死亡届を出さずに年金を不正に受給し続けていた事件をもとに、是枝監督が構想10年近くをかけて作った。日本人のパルム・ドール受賞は5人目で、1997年の今村昌平監督作『うなぎ』以来21年ぶりの快挙だった。
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広島サミット開幕、G7首脳が原爆資料館訪問
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