出産直後に乳児を殺害するなどして罪に問われた女性たちの立場に寄り添い、全国各地の裁判に携わる産婦人科医がいる。「こうのとりのゆりかご」(赤ちゃんポスト)を国内で初めて設置したことで知られる慈恵病院(熊本市)院長の蓮田健さん(57)だ。困難に陥った多くの女性たちを見てきた経験から「『自己責任』のひと言で責められない」といい、境遇を理解した支援の必要性を伝えている。(大久保謙司)

養育が難しい親から乳児を受け入れるために設置されている、慈恵病院の「こうのとりのゆりかご」(赤ちゃんポスト)=熊本市西区で(同病院提供)

◆「周りの支援があれば事件には…」

 2月28日、さいたま地裁の証言台に立った。「周りの支援があればこんなことにはならなかった。どの(同種事件の)裁判でもそう思う」。2021年夏、埼玉県川越市のアパートの浴槽内で出産した男児を湯から引き上げずに殺害したなどとして、殺人と死体遺棄の罪に問われた母親(28)=懲役5年6月、控訴=の裁判員裁判の証人尋問だった。  蓮田さんが裁判にかかわるようになったのは、赤ちゃんポストなどの取り組みがきっかけだった。ポストは、さまざまな事情で育てられない赤ちゃんを託せる施設。捨て子や虐待などで赤ちゃんが命の危険にさらされるのを防ごうと07年に設置して以来、児童相談所と連携して特別養子縁組などにつなげてきた。  21年12月からは、望まない妊娠をした女性らが身元を伏せて安全な場で出産できる「内密出産」にも取り組んでいる。赤ちゃんポストに預けられた子どもは22年度末時点で170人、内密出産した女性は23年12月時点で21人に上る。

◆傍聴を続けて見えた「共通する背景」

インタビューに応じる蓮田健院長

 赤ちゃんポスト設置から10年余りが経過した17年11月、母親が殺人や死体遺棄の加害者になった事件の裁判の傍聴を始めた。当初の目的は、赤ちゃんポストにたどり着かずに孤立出産した女性の話を聞くことで、ポストの有効性を把握することだった。  すると、加害者になった女性たちの多くに、愛着障害があることがうかがわれた。知的障害とは判断されないが周囲の配慮が必要な「境界知能」の状態や、発達障害と思われる人も多かった。親との関係が悪く、代わりに男性を頼ったり性風俗へ流れたりした末に妊娠していた。  この傾向は、赤ちゃんポストや内密出産を頼った女性たちと同じだった。違いは、そこへたどり着けなかったことだ。「親に知られたら縁を切られる」と誰にも相談できないまま出産を迎え、パニックに陥り、衝動的に乳児の殺害や死体遺棄に至っていた。蓮田さんは「うちの病院に来られた人は、半ば運だったのだ」と実感した。

◆「裁判で女性の苦境を明らかに」

 何の助けもない孤立出産は、それだけで相当な不安とストレスだ。さらに陣痛の強い痛みにさらされ続けることで、出産時の記憶が欠如する女性もいる。裁判では、死産だった場合など真実を語る方が有利になるとみられるケースでも、状況を説明できない人がいた。  「そうした事情を理解しない医師らが証人になり、不明確な部分まで自分の推測をたくましくして証言することがある。被告に不利になることを空想でしゃべってはいけないのに」。弁護側の立場で「分からないことは分からない」と証言する医師が必要だと感じ、法廷に立つことを決めた。量刑を軽くしてもらうためではなく、「女性たちのことを分かった上で判決をくだしてほしい」と思ったからだ。  3年ほど前から、事件が発生した地域の弁護士会などに手紙を送り、「裁判で証人などになる意思がある」と伝え始めた。埼玉の事件のほか、出産した乳児を自宅で殺害し放置した東京都日野市の女性の事件(22年)など計6件の裁判に証人として出廷。また、19年11月に羽田空港のトイレで出産した女児を殺害し、都内の公園に遺棄した女性の事件など2件で意見書を書いた。

出産した男児を殺害したなどとして殺人罪と死体遺棄罪に問われた母親の公判が開かれたさいたま地裁=さいたま市浦和区で

 埼玉の事件の裁判では、慈恵病院の非常勤医でもある精神科医に母親の精神鑑定を依頼し、交通費を負担した。精神科医は「被告は境界知能の状態」と証言。判決は実刑だったが、裁判長は「(母親は)境界知能の可能性があり、場当たり的な行動に出やすいという特性が犯行に影響を与えた側面もあることは否定しがたい」と言及した。  「社会復帰させるには被告の特性を本人も家族も理解する必要がある」。裁判は単に量刑を決める場所ではなく、女性たちが抱えた困難を明らかにし、立ち直りにつなぐ場であるべきだと考えている。

◆予期せぬ妊娠を責める日本の社会

 孤立出産に陥らせない支援策として、蓮田さんは、各都道府県に内密出産ができる医療機関や赤ちゃんポストを整備することなどを訴えてきた。しかし、いまだ実現の道筋は立たない。欧米では予期せぬ妊娠をした女性たちを「被害者」として守ろうとするのに対し、日本は女性たちの「自己責任」を追及し、責める社会だからだと感じている。なぜ妊娠したのか。なぜ気付かなかったのか。なぜ病院に行かず危険な出産をしたのか―。  「自己肯定感を持って育つことができた人が、同じ目線の高さから彼女たちをたたくのは間違っている」。非難では何も解決しない。「彼女たちが置かれている状況を考え、助けてほしい」。立ち直りを支える社会になることを願っている。 

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