ふるさとの復興支援企画を続ける前田建治さん=金沢市本町の「焼肉 肉割烹 万福」で
◆寡黙な父に反発、17歳で故郷を出た
香ばしい匂いが漂う金沢市本町の焼き肉店「焼肉 肉割烹(かっぽう) 万福(まんぷく)」で、前田さんは忙しい日々を送る。能登かきのフライ、能登牛入りカレーなど、売り上げの一部を復興支援に充てるメニューを次々と用意。市内でカキや肉を焼いて楽しめるチャリティーイベントも開いた。3月12日に父利二(としに)さん(87)を亡くしたばかりだが、休んではいられない。「その方が父も安心して喜んでくれる」という確信がある。 利二さんは稲作にこだわり抜く頑固な人で、稲を天日干しにする昔ながらの「はさ掛け」の手作業を貫いた。しかし子どもには、ああしろ、こうしろと言わない。やんちゃな青年だった前田さんの目に、寡黙な父は愛情がないように映った。17歳の時、身ひとつで家出した。反発心は寂しさの裏返しだった。 金沢で焼き肉店などを展開する会社に就職。心にはずっと故郷があったが、中途半端な自分では帰れなかった。やがて店を任されると、30代半ばから従業員を連れて田植えを手伝ったり、地元の「お熊甲祭(くまかぶとまつり)」に遊びに行ったりするように。利二さんは何も言わず目を細めて見ていた。雪解けが進み、4年前に万福を開業し「自慢の息子になりたい」と心に誓った。◆「長い時間がかかったけど…」気づいた優しさ
能登半島地震の避難中に肺炎で亡くなった父・前田利二さん
そんな中、地震が襲った。実家は倒壊を免れたが、危険を覚えた利二さんらは家を離れ、昼は避難所、夜はワゴン車に身を寄せた。3日後に会いに行くと、利二さんは気丈ながらも疲れた表情だった。 1月10日、母から電話があり「高熱で避難所から救急車で運ばれた」と聞いた。利二さんは入院し、2月には食事がとれず点滴に切り替わった。「もしかしたらダメかも」。脳裏によぎったが、祈るしかなかった。 やっとの思いで面会の約束を取り付けた1、2日後。利二さんの呼吸が止まったと連絡を受けた。待ちきれず病院に電話した時は既に、心電図の値はゼロだった。その日の夕方、2カ月ぶりに対面した父は10キロ超やせて小さくなっていた。葬儀を終え、翌日には金沢で満席の客を迎えた。 今なら分かる。父の寡黙さは無関心ではなく「好きなことを頑張れ」と見守る優しさだったのだと。だから今日も店を開ける。「大変でも自分が良いと思える道を、おのずと選択するようになった。長い時間がかかったけど、父の思いが自分に染み込んでいる」 ◇ 5月15日は近くにある系列のもつ鍋店「福多朗」で、被災地支援の一環として、沖縄のアーティストによる三線ライブを開く。料金は食事と飲み物付きで5000円、ノンアルコールの場合は4000円。(問)焼肉 肉割烹 万福080(4189)0369 鄭重声明:本文の著作権は原作者に帰属します。記事の転載は情報の伝達のみを目的としており、投資の助言を構成するものではありません。もし侵害行為があれば、すぐにご連絡ください。修正または削除いたします。ありがとうございます。