昭和の大横綱大鵬が引退表明

1971(昭和46)年 第48代横綱大鵬が引退会見。前日、大相撲夏場所で、小結貴ノ花(当時)に敗れたのが現役最後の一番となった。1960年代に活躍し、ライバル柏戸とともに「柏鵬 (はくほう) 時代」を築いた。優勝32回、6連覇2回、45連勝などを記録し、昭和の大横綱と称された。69年、優勝30回を記念して日本相撲協会から一代年寄「大鵬」の名跡を贈られた。

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「ウルフ」千代の富士 涙の引退

1991(平成3)年 第58代横綱千代の富士が引退。夏場所初日、前頭貴花田(後の第65代横綱貴乃花)に敗れ、3日目の貴闘力戦にも敗退し、その夜緊急記者会見で「気力もなくなり、引退することになりました」と絞り出すように話した。大鵬の32回最多優勝記録にあと1回、及ばなかった。

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その他の出来事

大久保利通、凶刃に倒れる

1878(明治11)年 内務卿大久保利通が暗殺された。明治天皇に面会するため、早朝馬車で自宅を出て紀尾井町清水谷に差し掛かったところ、帯刀し待ち伏せしていた6人に馬車から引きずり降ろされ惨殺された。西郷隆盛、木戸孝允(桂小五郎)と並んで「維新三傑」と称された。77(明治10)年の西南戦争で、薩摩藩時代からの盟友である西郷の討伐を指揮したことで、政府に反発する不平士族の恨みを買った。テロの首謀者が石川県人だったため規模の大きな同県の勢力をそぐ目的で、政府は旧越前国を福井県に、旧越中国を富山県に分割した。

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民間の唱歌教科書が発刊

1888(明治21)年 小学校用唱歌教科書『明治唱歌』第1集発刊。詩人・国文学者の大和田建樹、雅楽師・作曲家の奥好義が編集し、全29曲を収録。第6集(1892年発行)まで作られた。スコットランド民謡など外国曲を基に大和田が作詞した作品が多い。文部省音楽取調掛(後の東京音楽学校、現東京芸術大音楽学部の前身)が編集した『小学唱歌集』とは異なり、民間で作られ文部省の検定を受けた教科書。

喜劇王・チャップリンが初来日

1932(昭和7)年 「喜劇王」と呼ばれたチャールズ・チャップリンが初来日。翌日には海軍将校らのクーデター五・一五事件が起こるが、滞在を続けた。歌舞伎や相撲を楽しみ、斎藤実首相、永田秀次郎東京市長らと会談した。

アイヌ文化振興法が公布

1997(平成9)年 アイヌ文化振興法公布。少数民族アイヌを固有の民族として初めて法的に位置づけた法律で、「アイヌの人々の民族としての誇りが尊重される社会の実現」を目的に、国と地方自治体の責任としてアイヌ語やアイヌ文化の継承者の育成、調査・研究、国民への啓発などの文化振興策を行うと定めた。明治政府が同化を目的に制定した、「北海道旧土人保護法」は廃止された。アイヌの人々が求めていた先住権などの民族の権利は、2019年のアイヌ新法の成立・施行まで待たねばならなかった。

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ジャニーズ性加害疑惑で藤島ジュリー景子社長が謝罪

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