急増する都市人口
人類は農業の開始によって定住化し、集落が発達するのにつれてヒト同士あるいはヒトと家畜が密に接触するようになった。集落の拡大によって自然破壊や環境汚染が進み、この結果、ヒトと病気の関係は劇的に変わったことが、古い文書からも類推できる。古代エジプトのヒエログリフ、『旧約聖書』や『新約聖書』、ギリシャ・ローマ時代の古典、中国の歴史書、インドの宗教書『ヴェーダ』などには、さまざまな病気が登場する。それらの記述から、結核、ハンセン病、コレラ、ポリオ、天然痘、狂犬病、マラリア、肺炎、トラコーマ、インフルエンザ、ハシカ、ペストなどと考えられる。
18世紀に英国で始まった産業革命によって、大都市に大量の労働者が流入し、これまでにない過密社会が出現した。彼らの多くは、農村から出てきた免疫を持たない人たちだった。飛沫(ひまつ)や空気によって感染を広げる呼吸器感染症の病原体は、人口密度の高い都市に適応したものだ。過去の大発生をみても、アテネ、ローマ、ロンドン、ニューヨーク、武漢、東京といった大都市や、軍隊、工場、学校、市場など人の集まる場所がウイルスの温床になってきた。
パンデミック(世界的大流行)の背景にあるのは、ヒトの都市への集中と移動の急増、そして高齢化である。国連世界人口白書によると、世界人口は1900年の16億5000人から2024年には約5倍の81億1900万人に達した。この間に、都市人口は2億2000万人から44億6500万人になり、約20倍に膨れ上がった。2009 年には史上初めて、都市人口が農村人口を抜き、現在では世界人口の55%が都市に住む。
グローバル化の弊害
現在、世界の都市人口は年間約6500万人ずつ増えている。地球上に毎年、東京都が4つ半生まれるのと同じだ。国連の予測によれば、今後2050年までに世界人口の増加分のほとんどが途上地域の都市に吸収される。そのとき、世界の都市人口の54%がアジアに、20%がアフリカに集中することになる。
近年も交通や物流の飛躍的な発達によってヒトと動物の広域移動が進み、動物由来感染症の世界的流行の引き金になった。国連世界観光機関(UNWTO)の調べでは、国際的なヒトの往来は、新型コロナの流行前の30年間で観光客数は約3倍の15億人近くにもなった。コロナ禍で1990年前後に逆戻りしたものの2023年にはほぼコロナ前の水準に戻った。特に毎回話題に上る中国の春節大移動は、2024年2月には延べ90億人を超えたといわれる。ただし、国家経済が順調だと誇示したい政府の「官製データ」という批判もある。
現在、世界の大都市は航空機や高速鉄道によってネットワーク化され、そこに何十億人もが住んでいる。2002年に中国から世界に広がった「重症急性呼吸器症候群(SARS)」によって、いかに世界がネットワーク化されているのかを思い知らされた。このシリーズの第1部で紹介したことがあるが、あえて再掲する。
中国の広州市の病院で働く中国人医師が、SARSに感染していることに気づかずに香港に出掛け、市内のホテルにチェックインした。その直後に気分が悪くなって入院した。客室にはその医師の吐瀉(としゃ)物が飛び散り、この客室を清掃したホテル従業員が同じ道具で別の部屋を掃除したためにウイルスが広がり、宿泊していた各国からの宿泊客16人が発病して病院に運ばれ、治療にあたった医師や看護師ら50人以上が感染した。海外からの宿泊客がそれぞれの本国にウイルスを持ち帰って拡散したことから、最終的に世界30カ国で8422人が感染、916人が死亡した。たった1人の感染者からここまで広がったのだ。
途上地域では収束していた感染症が復活
米英に拠点を置く国際的な民間機関グローバル開発センターのチャールズ・ケニーは、「都市化が市民の健康、感染症の感染率や死亡率に及ぼす影響は多岐にわたる」という。例えば、先進国では、「環境汚染」「薬物乱用」「事故・災害」「暴力犯罪」などが市民の健康に悪影響を与えている。しかし、過去20~30年の間、衛生環境や栄養の改善、医学や医療の進歩などによって、感染者の多かった呼吸器感染症と下痢性疾患の患者が減少し死亡率が低下した。
他方、途上地域では、新たに出現する感染症や収まっていたはずの感染症の復活によって、依然として感染症による死亡率は高い。急膨張する都市人口に対応しきれず、約40%の住民がし尿を安全に処理するための衛生設備を利用できず、野外でトイレをすませている。衛生設備や廃棄物処理が不足し、水道普及率は50%に満たない。このために、コレラ、赤痢、腸チフスなどの水を介した感染症が多い。世界保健機関(WHO)によると、毎年こうした地域で は約50万5000人が飲料水の汚染で死亡している。
スラムは感染症の温床
途上地域において、都市化は多く場合スラムの膨張を意味する。国連居住計画の推定では世界のスラム人口は9~16億人。最大で、世界人口の2割にもなる。今後30年で20億人を超えると予想する。スラムは感染症の温床となっている。
例えば、コルカタ(インド)、ジャカルタ(インドネシア)、ナイロビ(ケニア)、カンパラ(ウガンダ)などのスラムでは、コレラが常に流行している。1990年代の後半、アフリカや中南米で国連のスラムの調査に参加したことがある。中でも衝撃的だったのは、アフリカ最大のスラムである、ナイロビ郊外のキベラだ。皇居の面積の2倍強にあたる2.5平方キロメートルに、約100万人が住んでいた。6畳に満たない小屋に8~10人が生活する超過密状態で、1カ所のトイレを平均150人が使っていることになる。
米国立衛生研究所(NIH)主催の「都市化とスラムと感染症ワークショップ」(2018年)の報告によると、2005年の世界サミットに採択された『人間の安全保障』以来、スラムにおける衛生・健康問題は常に議論されてきたが、ほとんど成果らしい成果はなかった。スラムでは、依然として感染症が死亡原因のトップだ。下痢症、コレラ、デング熱、マラリア、ジカウイルス感染症、ウイルス性肝炎、薬剤耐性結核などだ。インフルエンザは常時発生し、実態は不明だが、エイズや新型コロナでも、スラムではおびただしい数の死者を出しているようだ。
近年深刻になっているのが、海外からの移民・難民が都市人口へ加わっていることだ。現在、6500万人以上が母国を追われ、2300万人が難民および亡命希望者になっている。そうした難民や亡命希望者は収容施設のテント生活を余儀なくされている。シリア、ウクライナ、パレスチナのガザ地区などからの難民は、生存が精いっぱいの非衛生な環境に押し込められている。
ガザ地区北部の仮設住宅に暮らすパレスチナ難民の子供たち。2022年12月26日撮影(Photo by Mahmoud Issa/SOPA Images/LightRocket via Getty Images)
高齢化は感染症の危険因子
世界の総人口に占める65歳以上の者の割合(高齢化率)は、1950年の5.1%から2020年には9.3%に上昇した。2060年には17.8%にまで上昇すると予測される。人口構成の若い途上地域でも高齢化が始まり、高齢化率は1950年の4.1%から2020年には5.9%へ上昇した。今後も世界的に高齢化が急激に進むことになる。
日本の65歳以上人口は、1950年には総人口の5%に満たなかったが、1970年に7%を超え、さらに1994年には14%を超えた。高齢化率はその後も上昇をつづけ、2023年には29.1%に達した。今後の予測では、日本は2060年代に韓国に抜かれるまで世界トッププランナーである。高齢者は、一般的に免疫機能が衰えているため感染症に罹患(りかん)しやすく、いったん発症すると長引いたり、合併症を起こしたりすることも少なくない。
合併症で最も多いのが2次感染による肺炎である。肺炎は日本人の死因の第3位を占め、2次感染によるものは特に重症化しやすい。厚生労働省によると、新型コロナの流行の初期では、死者の8割以上を70代以上が占め、特に80代以上は感染した約3割が死亡した。その多くは肺炎症状を示していた。WHOは、「世界的に長寿命化が進んでいるため、高齢化は危険因子として今後の感染症予防の緊急課題である」と警告する。
人類が暮らしやすい環境を求めて都市に集中し、それが現在の高齢化社会を生み出したと言ってもいい。その結果、先進国の都市部でも感染症で死亡する人が増えているのは何とも皮肉なことだ。
(文中敬称略)
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