【NHKスペシャル】封じられた“第四の被曝(ひばく)” -なぜ夫は死んだのか-

NHK総合 9月15日(日) 午後9:00~午後9:55
測量船「拓洋」(上)/巡視船「さつま」(下)

1958年7月、国際的な観測プロジェクトの一環で、太平洋を航海していた海上保安庁の測量船「拓洋」と巡視船「さつま」の2隻がアメリカがビキニ環礁で行った水爆実験に遭遇し、乗組員が被ばくしました。

永野博吉さん(当時34歳)

1年後、「拓洋」の首席機関士を務めていた永野博吉さん(当時34歳)が急性骨髄性白血病で死亡しましたが、被ばくと関連づけて考えることは困難だとされました。

今回、NHKは、事件の2か月後に当時、在日アメリカ大使館の書記官を務めていたリチャード・スナイダー元国務次官補代理が、事件の経緯や日本社会の反応を詳細にまとめた文書を入手しました。

文書のタイトルは「アメリカの1958年核実験」とされ、このなかで、事件直後の日本社会の反応について「即座に1954年に起きた第五福竜丸事件を思い起こさせた」と記して4年前に起きたビキニ事件に触れ「核実験問題をめぐる日米対立を深刻に悪化させる可能性を否定できなかった」として懸念があったことも報告していました。

また、その後のアメリカの対応について「被ばくしたという主張を軽視せず、ラバウルに医師団を派遣した。アメリカが乗組員たちを心配している証だと日本に解釈された」とし、日本の対応については「調査が終わる前からアメリカとの衝突を避けようとした。影響がないとした身体検査の結果を日本政府が公表し、放射線障害に対する不安を効果的に鎮めることができた」と記していました。

そのうえで「日米の関係を崩さないよう両国で巧みに対処した」と評価していました。

そして、みずからの所感として「日本人の根底にはアメリカの核実験は不快で人体に害を及ぼす危険があるという意識がある。しかし、それは避けられないものであり、一部の人は、国際情勢に照らすと核実験が正当化されるという考えにさえ至ったようだ。日本人はアメリカに抗議しても、いかなる影響も及ぼすことができず、むしろ日米関係には望ましくない結果をもたらすという結論に達したようである」などと書き記していました。

米書記官まとめた文書 このほかの所感

在日アメリカ大使館の書記官がまとめた文書には、事件に対する社会の反応について、ほかにも所感が記されています。

このなかで書記官は「放射線をめぐる問題についての科学者や医師の専門的知識の向上が、報道機関や一般市民にも浸透し始めていて、以前は一般的だった、雨がっぱを必死に購入し、放射性物質を含む雨を防ごうとする行動はほぼ過去のものになった」と記載しています。

そして「センセーショナルな報道はあるものの、その試みは頓挫した」としていました。

また「日本国民を核実験への反対運動に導こうとする左翼の試みはもはや効果はなく、信頼を失いつつある。アメリカの核実験に対し、反対するよう国民に呼びかけたが、その努力は成功しなかった」とも記載しています。

外務省 “日米間の誤解の因(もと)となる如き事態は極力防止”

海上保安庁の船「拓洋」と「さつま」が被ばくした事件から11日後に作成された外務省の内部文書からは、日本側も事件への対応に追われていた様子がわかります。

文書には、海上保安庁で行われた専門家会議の結論として「両船船体の放射能汚染は人体に危害を及ぼす程度のものではないと判断されている」と記している一方で「どの程度の放射能を吸収したかの点についての判断資料はないので、健康については十分な警戒的措置をとる必要がある」とも記載されています。

事件への日本社会の反応がアメリカとの関係に影響しないよう気にかけるような箇所もあり「日本政府としては、本件に、必要以上のパブリシティ(広報)を与えて日米間の誤解の因(もと)となる如き事態は極力防止する」と記されています。

また、事件の10日後に作成された内部文書にも広報対応について書かれていて、アメリカが医師を派遣したことについて「米側の希望もあり、特別の新聞発表は行わず、なるべくパブリシティを与えない方針」とされています。

そのうえで、新聞社から問い合わせがあった場合の回答内容について「米側とも打ち合わせ済み」と記され、社会の反応に敏感になっていたことがうかがえます。

専門家“米政府の分析 本音がわかり重要だ”

京都大学 森口由香教授

「拓洋」が被ばくした事件などでのアメリカの広報外交を研究する京都大学の森口由香教授は、今回の文書について「事件が日米関係にとって相当シリアスな問題だとアメリカ政府が自覚していたことが示されている。アメリカ政府がどのように分析していたのか本音がわかり、重要だ」と話しました。

当時の時代背景について「冷戦中だったこともありアメリカは日本との同盟関係を強めたいと考え、日本では政府自民党が左派の日米安保体制への反論を抑え、55年体制を盤石にしたいと考えていた」としたうえで、事件への対応については「日本政府とアメリカ政府が協力して情報がなるべく広がらないよう巧みに公表することによって、事件は大したことがなかったという雰囲気を広めていった。意図的な情報操作で見えなくなった事件だと言える」と指摘しました。

そのうえで「日米ともに日米安保体制の堅持を最優先にすると再確認していて、アメリカはこの事件を乗り越えたことで今後、核をめぐる問題が日米安保の障壁にならないと感じたのではないか。日本は対米追従ではない外交をしようと努力しながら最終的には、ずっと日米安保体制に頼らざるを得ないところがあり、この事件はアメリカの言うがままになってしまった典型的な動きを示している」と話しました。

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