10円玉を入れ,レバーをバチン! と弾く。
 そういうゲームに覚えはあるだろうか?

 昔,駄菓子屋には色とりどりのお菓子たちとともに,そうやって童心をくすぐってくる「ゲーム機械」たちがいた。人によってはデパートの屋上のゲームコーナーなどで付き合いがあったかもしれない。

 現在では生き残りの数も少なくなったが,東京・板橋の町の一角には,今も彼らが集うお店「駄菓子屋ゲーム博物館」がある。

都営三田線・板橋本町駅の近く。板橋イナリ通り商店街

まっすぐ進むと,清水稲荷神社の向かい側に「駄菓子屋ゲーム博物館」

店内には昭和がムワっと香ってくるゲーム機械たちの姿が

 こちらはTV番組「ゲームセンターCX」やドラマ,数々の雑誌&Webメディアで取り上げられてきた,日本で唯一の10円ゲーム専門施設だ。

 店内では入場料300円で“ゲームメダル10枚”と交換し,フロア中に敷き詰められた10円ゲーム(あるいは駄菓子屋ゲーム)を楽しめる。

入場券売機から出てきたメダルと,ゲームメダル10枚を交換

メダルは(主に)デジタルゲーム系でのみ使えて,(主に)アナログゲーム系は10円玉で遊ぶ。デジタル系で勝ったときに排出されるのはゲームメダルだが,アナログ系は「あたり券」が排出され,ポイント相当の駄菓子などと交換できる。昔の駄菓子屋とほぼ同じスタイルだ

 店内には界隈の王「新幹線ゲーム」をはじめ,10円玉を投入してレバーで弾き,ゴール(あたり)を目指すゲームたちがズラリ。
 さらに10円玉ではなく弾を弾くもの,パチンコ系やルーレット系,なかには「無操作で10円玉の行く末を見守る運試し系」もある。

 「国盗り合戦」「山のぼりゲーム(2011年の復刻版)」といった有名な筐体はもちろん,サウンドやギミックを凝らした体感系に,ゲーム性を高めたデジタル系なども豊富だ。全体的に言えることは。

「昭和生まれなら,ドンピシャ」
「平成生まれなら,かするかも」
「令和生まれなら,未知の世界」


 といったところだろう。


 今回は平成世代の私と,昭和世代の同行者で,ピンときたゲームの種別が異なった。そして2人とも「これ! 昔これやった!」「あったあったこれあった!」と,一瞬にして小学生男子にさせられた。

 正直,専門的に調べたことのある人でないと各ゲーム機の正式名称はそもそも知らないだろうが,過去の体験次第で「これ,地元の近所の駄菓子屋でやったやった!」というものが一つはあるだろう。

 それに,知らないゲームだろうと遊び方はシンプルだ。お客さんもメインターゲットであろう中高年のみならず,世代的に触れられる可能性が低かったはずの10代〜20代もよく来るとのこと。近所の小学生たちも直感的に楽しみ方を悟り,よく店内でハシャいでいるのだとか。

 以下は,この日のラインナップである(日によって入れ替えあり)。


 まずは王道の新幹線ゲーム……は実のところ覚えが薄く,近所によくあった「インターチェンジ」「BASE BALL」「HOP STEP JUMP」に挑んだ。いずれも筐体の上から下に10円玉を落としていく構造どころか,盤面の作りも新幹線ゲームと酷似している。違うのはほぼ絵柄だけ。

 過去のこの業界の“寄せていく”商品開発は,現代よりも力強い。遊び心地についても,どれをやってもだいたい同じだった。そのうえで「あのとき大勝ちした」という思い出が推しを差別化させてくる。

 肝心の腕前のほうは,ビックリするくらい無能になっていた。昔は1枚の10円玉に数十分後の運命を問う,生死をかけんばかりの大願を込めていたはずだが,軽薄な手指は安易な失敗を重ねていく。10円に対するハングリー精神の欠如をまざまざと実感させられる一幕だ。

多くの10円ゲームはお金を入れて

こうしてレバーを弾くか,ボタンを押すだけ

 なお,過去には「この角度と力の入れ具合で絶対必勝!」といった穴だらけのロジックを,男友達と構築していた人もいるだろう。

 だが,こうしたゲームは部品の劣化具合,天候や湿度の具合により,内部で動く10円玉の反発力や摩擦力がそのときどきで変化するという。究極的なアナログ構造は,思っていたよりも繊細だったようだ。

 なにより,必勝ロジックの大半はただの願掛けだっただろうに。


 店内ではそこら中でレバー音やBGMが鳴っているが,ボイスの主張が激しいのは「機動戦士ガンダム」「ヒルクライマー」だ。

 ガンダムはルーレットを回し,出た目がガンダムマスならガンダムが動き,ドムマスならドムが動く,2軸のすごろくゲームだ。とくにガンダムのコマを進められるときは「がんだむぅ〜」という,最高にアンニュイな声色の女性からエールを送られる。それが実に味わい深い。

 対して,体感ゲームとしての出来がすばらしいヒルクライマーは起動した瞬間,ド派手なBGMとともに「ヒィルッ,クライマァー!!」という男性ボイスがフロアを加熱させる。基本的には静かな店内で,この2人のアピールはとても激しく,ゲーセン的な“らしさ”を感じる。


 どのゲームに親しみを覚えるかは,世代あるいは体験ごとに違うだろうが,個人的に最も懐かしかったのは,メダルゲーム機「ジャンケンマン フィーバーJP」「ミサイルフィーバー」である。

 とくに,多くの昭和〜平成世代が駄菓子屋やデパートなどで一度は遊んだであろうジャンケンマンは,メダル投入時の「じゃんっ,けんっ,ぽんっ!」の声からして,もはや幼なじみだ。これでメダルを稼ぎ,きな粉棒を何本食ったことか。通算はたぶん負け越しだろうが。

 ちなみに昔,頭の足りない男子同士で,「あいこ」になったボタンを押し続けていると次の勝負が開始されないという挙動を生かし。

「チョキであいこになったら,チョキ押しっぱで画面をチョキに固定し,ずらし押しでグーを入力して,画面切り替えを起こせないでいるチョキにグーを叩きつけて“やっぴー(勝ちボイス)”する(同時押し・最速ずらし押しだと入力判定が発生しないため,数フレのディレイ必須)」

 といった必勝法を発明した。「あ〜い,こ〜で」の声は次のじゃんけんが始まると流れてくるのだが,この技を使うと最速ボタン入力で音声がスキップされ,「あ〜しょっ!」「あしょっ!」「しょっ!」しか聞こえてこない。ゆえに,技の継承者たちはたやすく判別できた。

 もちろん,これは必勝でもなんでもない無価値なゴミ技であったため,その間に「ズコー(負けボイス)」を大量生産した。こうした根拠なき攻略法に心を躍らせなくなったのは,いつごろからだろう。


 勝っても負けても数秒で10円(メダル)が溶ける仕組み。驚いたのは,たったこれだけの単純なゲーム性に飽きることなく,勝ったときの快感を忘れられず,射幸心ドバドバでやり続けてしまうことだった。

 挑戦と結果の快感サイクルがあまりにハイスピードであるがために,まるでハック&スラッシュから[ック&スラッシ]の部分における手間を省き,「ハュ」の部分だけを最高効率で味わっているようなゲームデザインに感じられる。まあ,思い出補正は確実にあるだろうけれど。

 同時に,10円どころか100円も軽い。すぐに溶かしては懐かしの手動式両替機で10円玉を補充し,トロトロと溶かし続ける。この日は昨今よくいる現金持たない勢と同じく,財布の中身がスカスカなことにも気付かず取材していたが,なけなしの700円は1時間ほどでなくなった。

 それが逆によかったとも言えるし,1000円未満で1時間ものめり込んで遊べるというコスパも優れていると言えるのだが。
 砂漠の水のように尊かった100円玉の宝石を,こんなふうに使えてしまう大人になったことに,ほんのすこし寂し笑いである。


 そして問題が起きた。同行者が新幹線ゲームで快勝し,あたり券を大人げなく見せつけてくるなか,こちらは10円ゲームで1勝もできていなかった。冷静に考えれば取るに足らないことだが,(お金でも買える)駄菓子と引き換えられるあたり券があまりにまぶしく,耐えがたかった。

 店内のゲームを一通り遊びきっても,ゲーム機械たちは浮ついたメンタルでの勝利を許さない。スピーディに全敗した。そんなときに,ふと知らないビデオゲーム「マドラー」が目についた。
 同作のルールを簡単に伝えると,画面上に伏せられたカードを裏返し,書かれている数字分だけマスを進み,マイナス値やモンスター(ゲームオーバー)の札を避けながら,ゴールを目指すというもの。

 考えることはたくさんあるが,やることは少ないマドラー。試しに遊んでみると,1ゲームであっさりクリアできた。本作は腕前よりも確率のゲームのようで,そのあと何度か遊んでもあっさり終わった。

 このときまでは一昔前に慣れ親しんだゲームを中心に遊んでいたのに,ようやく勝利させてくれたマドラーにいきなり親近感が湧き,親友の名とばかりに記憶にこびりつく。私は駄菓子屋ゲーム博物館のことを,古きを懐かしむ場所と思っていた。けれど不思議なもんで,いにしえを懐古する場であっても,人間いつまでも新しい思い出を作れるようである。

念願のあたり券(30円分)。マドラー大好き!

 当博物館の館長である岸 昭仁氏は,小学5年生のころから10円ゲームに明け暮れ,今ではこの世界の第一人者と呼ばれている。過去には10円ゲームに関する書籍「日本懐かし10円ゲーム大全」を執筆し,現在は配信業やグッズ販売などのオンライン施策にも力を入れている。

 日本各地にはさまざまな形で古きゲームを取り扱うお店があるが,その多くはビデオゲーム,アーケードゲーム,もしくはレトロゲーム販売が主流だ。こうした10円ゲームに特化したところはほかにない。

 ただ,店内にあるゲームの大半は1980年代に生まれたもので,物理部品も電子部品も時代とともに劣化が進んできた。ゲーム機械をリリースしていたメーカーはとっくの昔にサポート対応を打ち切っていることから,ここにある機械の修理は自らの手でこなしているという。

 ゲームから排出されるあたり券なども,公式のサプライがないので今はお手製だ。子供のころ,ある日を境に「あれ,なんか券が変わってる?」と思った不思議を今さらながらに解決させられた。

 時間も忘れて1時間半ほどゲームに熱中し終わったあと,なんとなしに「このお店はいつまで続けるのでしょう」と聞いてみた。
 すると,「続けられる限りは続けます」と返してくれた。

駄菓子屋ゲーム博物館 館長の岸 昭仁氏



 帰る間際,やっと勝ち取ったあたり券と,レジ横の駄菓子を交換する。同行者が現金を足して「駄菓子屋ゲーム博物館 ステッカー」を購入しているのを横目に,30円分。悩ましい選択に頭を抱える。

 最終的に選んだのは,ナタデココゼリー(坂製菓)と10円ラムネ。ゼリー類はヤマヨ製菓のジャンボネオンゼリーも港常のあんずボーも,冷凍庫で凍らせてから食べるのが好きなのだ。あたり券を差し出すとき,それを握りしめていた力加減だけは昔とそう変わらなかった。

 日も落ちた夕暮れどき。古き良きを感じるせまさの商店街通りを歩いて帰る。駄菓子屋もデパート屋上のゲームコーナーも,ビデオゲームにあふれていたゲームセンターですら,すっかり見なくなった昨今だが。東京・板橋の町の一角には,今もまだ男の子に帰れる場所がある。






〇店舗概要
名称:駄菓子屋ゲーム博物館
住所:東京都板橋区宮本町17-8
開館:土日祝日10:00〜19:00、平日14:00〜19:00
定休日:火曜日、水曜日、木曜日(祝日の場合は営業)
入場料:300円(2歳以上共通。ゲームメダル10枚付き。当日に限り再入場可能)

アクセス
■都営三田線:板橋本町駅A4出口より徒歩6分

■車でのご来場は、環七通りと国道17号中山道の交差点「大和町」から国道17号を北上し、付近のパーキングをご利用ください。

■路線バスでのご来場は、「清水町」または「大和町」停留所で下車してください。


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