米イーライ・リリーが開発した早期アルツハイマー病治療薬の「ケサンラ」(ドナネマブ)が2024年9月に日本で承認された。アルツハイマー病の原因に直接作用する疾患修飾薬としてはエーザイの「レケンビ」(レカネマブ)に後れを取ったものの、治療によりアルツハイマー病の人の脳内に見られる老人斑(アミロイドたんぱく質の凝集体の沈着、アミロイドプラーク)が一定レベル以下になれば治療を中止できるという特徴を持つ。
また、レケンビが2週間に一度の注射投与を必要とするのに対して、ケサンラは4週に一度の投与で済み、通院などの負担も少ない薬だ。同社で研究開発をリードするダニエル・スコブロンスキー氏が24年10月に来日した機会にインタビューした。
――先ほど日本イーライリリーの神戸本社の入り口で、あなたが社員向け講演会を行うことを紹介したポスターを見かけました。講演会では何を語ったのでしょうか。
「今日、神戸に来たのはドナネマブを日本に届けるための多大な努力に感謝し、承認取得に尽力したチームを祝福するためです。そこで私は祖母の話をしました。私にとっては個人的な話であり、これまで記者の方に語ったことはなかったのですが、今日はお話ししましょう」
「祖母はアルツハイマー病でした。その祖母が亡くなった日、私はアルツハイマー病治療薬の臨床試験を行う準備のために出張中で、みとることができませんでした。そして、残念ながらその薬の開発には失敗したのですが、 アルツハイマー病に対して約30年間諦めず、粘り強く取り組んだ企業で働けることにどれほど感謝しているかを、日本のチームのメンバーに語りました」
「祖母と私の娘が写った写真を社員に示して、『私にも娘にも祖母と同様に遺伝的な危険因子があるはずだ』と説明しました。『祖母の世代には手遅れだったけれど、両親の世代には手遅れでなくなった。なぜならここには薬があるからだ』と。病気の進行を遅らせることに恩恵を感じる人がいるし、私の世代にとっては病気を予防できる薬になっているかもしれません。子供たちの世代になると、この領域の様々な疾患を、予防したり治療したりできる時代になっていることを願っています。それが我々と、ここ日本にいるチームの使命だということを伝えました」
「また、ドナネマブの物語が日本で始まったことも紹介しました。ドナネマブはアミロイドβ(Aβ)の中でも、脳に沈着したアミロイドプラークに多く見られるタイプのAβだけに結合するようにつくられた抗体医薬です。このタイプのAβは日本で発見され、1995年に脳に沈着したAβに多く見られることを日本人の研究グループが報告しました。その後、我々のチームがこのタイプのAβに対する抗体を作製し、彼らの発見から約30年後、日本に薬を届ける道が開けたのです。何という素晴らしい旅でしょうか」
――早期アルツハイマー病に対して、ドナネマブよりも前の23年9月に承認されたエーザイのレカネマブは、市場の開拓にかなり苦労しているようです。ドナネマブの販売にはどのような見通しを持っていますか。
「アルツハイマー病に対する治療薬はこれまでなかったので、複数の薬が存在する今の状況は認知症の人にとってエキサイティングなことでしょう。2つの製品を利用できるのは非常に良いニュースです。ただ、罹患(りかん)していることを認識して診断を受け、治療開始に至るのが難しく、ほとんどの人は依然として治療薬を利用できていません。これは悪いニュースですです」
「先ほど、リリーが30年にわたってアルツハイマー病治療薬の開発に取り組んできたと言いましたが、私自身はそれと同じぐらいの時間をかけてアルツハイマー病の診断方法の開発に取り組んできました。脳内に蓄積したAβを測定するアミロイドイメージング用の『アミヴィッド』という診断薬や、脳内のタウたんぱく質を測定するタウイメージング用の『タウヴィッド』と呼ばれる診断薬の研究開発に取り組んできました。診断できなければ治療薬の恩恵にあずかれないので、診断薬は治療薬と同じぐらい重要です」
「日本の科学者や医師は、これまでアルツハイマー病の診断技術や検査の開発を主導してきました。アルツハイマー病の早期診断の観点からは、日本は世界で最も進んだ国の1つだと言えます。新薬の普及には時間がかかるかもしれませんが、いずれはアルツハイマー病の早い段階で治療を受けるかどうかを検討できるようになると楽観視しています」
中止と継続を比較したデータはない
「最も重要な目標は、全ての認知症の人が薬の恩恵を受けられるようになることです。2つの薬があると、認知症の人やその家族、医師はどちらがいいか選択できます。選択肢があるのは素晴らしいと思います」
「2つの薬を比較する臨床試験は行われていないので、どちらが優れているかは分かりません。ただ、ドナネマブの特徴としては、アミロイドプラークを除去できたら薬を中止できることがあります。臨床試験では、約半数の人が12カ月後に投与を中止でき、18カ月後には大半の試験参加者でプラークが消えていました。日本でも12カ月後にプラークが消えていれば投与を中止できます。一生薬を投与しなければいけないというものではありません。こうしたデータがあることを非常に誇りに思っています。こういう形で使うことで、十分に効果が得られます」
「2番目に重要なのは、ささいなことに思うかもしれませんが、1カ月に1度の注射投与である点です。認知症の人やその家族にとっては薬を投与するために病院に通院するのは負担になります。だから、できるだけ投与頻度を少なくすることが重要だと考えています」
――確かに、投与をやめることができるというのは大きな価値ですが、エーザイはレカネマブについて、長期間投与を継続することに意義があると言っています。その点はどうお考えですか。
「我々はドナネマブを継続することによってさらにベネフィットが高まるということはないと考えています。臨床試験として行ったわけではないですが、アミロイドプラークが消失した後、再び現れるかを数年間観察していますが、顕著な蓄積は見られていません」
「抗菌薬では感染症の治療を行い、治癒すれば抗菌薬の使用をやめますよね。副作用があるわけですから。抗がん剤も腫瘍がなくなれば投与をやめます。それと同じ考えを、アルツハイマー病でもしているのです」
「治療を継続した場合と、中止した場合とで違いがあるかを調べる試験はどの企業も行っていません。レカネマブもドナネマブも継続した場合と中止した場合を比較する試験は行っていないので、どちらがいいのかを言うことはできないと思います」
「我々はこういう形で臨床試験を行い、彼らはまた違った形で行ったということです。ただ、プラークを除去できればやめられるのは良いアイデアだというのが、学術専門家や規制当局のコンセンサスだと信じています」
――アルツハイマー病では進行に伴い、脳内にタウたんぱく質が蓄積したり、神経原線維変化と呼ばれる神経変性が生じたりするといわれています。抗Aβ抗体による治療を継続した場合と、中止した場合とで、タウたんぱく質の凝集や神経原線維変化などにどのような影響が現れるかは分かっていないのでしょうか。
「今のところどちらの薬を使っても神経変性は続きます。抗Aβ抗体はアルツハイマー病の進行を完全に抑えるわけではなく、スローダウンさせる薬だからです。そのスピードが、治療を継続した場合と中止した場合で異なるのかどうかはデータがありません。臨床試験を行わなければ、結論は出ないと思います」
症状が出る前の人への臨床試験も
――アルツハイマー病治療薬の普及には時間がかかりそうだということですが、一方で、リリーではドナネマブについて、認知症の症状が出る前のプレクリニカル期と呼ばれる段階の人を対象にした臨床試験も行っています。これが承認されると状況は変わるでしょうか。
「まず、軽度認知症など何らかの症状がある症候性の早期アルツハイマー病に対して2つの薬が承認されたという今の状況からお話をしたいと思います。症候性のアルツハイマー病の診断について、医師に対する教育をもっとやらなければならないと考えています。そうやってこの新たな治療を、今の医療システムの中にしっかりと統合すれば進展が見られるでしょう。日本だけでなく世界中のどこでもそうやって進んでいくでしょう」
「次に、症状が生じる前のプレクリニカル期に関してですが、これはやはり大きな機会につながると思っています。より多くの人を助けられるからです。その理由は3つあります」
「1つ目は我々が行っている臨床試験の方法ですが、対象となる人を特定するために陽電子放射断層撮影装置(PET)によるアミロイドPETスキャンを行うのではなく、血液中にリン酸化タウたんぱく質217(pTau217)があるかどうかを調べています。診断の精度は血液検査もアミロイドPETスキャンも大体同じですが、血液検査の方が容易に実施できます。それを使って臨床試験をしているので、プレクリニカル期を対象に承認を受けたなら、血液検査で治療の対象となる人を見つけられるようになるでしょう」
「2つ目は、我々が信じていることですが、アルツハイマー病に対する治療は、より早く開始すればより高い効果が得られるということです。症候性のアルツハイマー病でもより早期に治療を開始した方がメリットが大きいですが、さらに早期のまだ症状が出ていない段階から治療を開始すれば、メリットはより大きくなると考えています。この臨床試験に成功すれば、アルツハイマー病の半分ぐらいは症状が出る前に治療できるのではないかと考えています。つまり、アルツハイマー病のリスクを50%下げる薬になれば素晴らしいことだと考えているのです」
「3つ目は、我々が楽観視している理由でもあるのですが、やはり治療の開始が早期であればあるほど、安全性が高くなるということです。抗Aβ抗体にはアミロイド関連画像異常(ARIA)という副作用が知られています。磁気共鳴画像診断装置(MRI)で脳を撮影すると、浮腫や微小出血が見られるという副作用ですが、軽度の認知症の人においては少ないです。そして、無症候性の人においてはまれにしか見られなくなるということなので、この診断と治療のコンビネーションは、よりよい安全性とより高い有効性を実現する素晴らしいものになると思っています」
「アルツハイマー病の人を半分に減らすことができれば社会を変えることになります。高齢化の意味も違ってきます。年をとってもより人生を楽しむことができるでしょう。各国の医療システムに対する負担も減らせるはずです」
「プレクリニカル期を対象とした第3相臨床試験のデータは、25年か26年には出てくると考えています。どのぐらい時間がかかるか、はっきりとは分かっていませんが」
――アルツハイマー病の人を減らせれば医療費を削減できるとのことでしたが、一方で、無症候性の人への治療を行うようになると医療費は膨大になりそうです。
「我々は対象者を見分けるのに血液検査を利用します。血液検査の素晴らしさは安価であることです。血液検査は毎年多くの人たちが、コレステロールを調べたり、がんのスクリーニングの目的などで受けています。そして、血液検査でpTau217が陽性となった人たちだけに治療を施すわけです」
「それと、我々は医薬品が医療システムや社会にもたらす価値に着目しています。アルツハイマー病の人を減らすことができるなら、その経済的な価値は非常に大きくなるので、医療システムとしても受け入れやすいと考えています。早期に治療すべき人を発見して、命を救える日が早くやってくることを願っています」
アルツハイマー病を予防できる時代に
――ちなみに、無症候性の人に検査をした場合に、pTau217の陽性率はどのぐらいになると考えていますか。
「年齢や家族歴などによって異なるのではっきりとした数字は言えません。ただ、60歳代から70歳代へと年齢が進むと陽性率も増えます。より早い段階で治療を開始するためには、より若いうちに検査を受けるべきでしょう。プレクリニカル期に対する治療の有効性と安全性が認められて、承認されれば多くの人たちがアルツハイマー病になるのを予防できるようになると考えています。脂質異常症の治療薬が動脈のプラークを予防するのと同様に、脳内にプラークが蓄積するのを予防するのです」
――ドナネマブが無症候性の人を対象に承認されればアルツハイマー病を半分に減らせるとのことですが、リリーでは他のタイプのアルツハイマー病治療薬も開発しています。それらは将来、必要になるのでしょうか。
「もちろんです。ドナネマブでどれだけの問題が解決できるかは分かりませんが、強力な一歩なのは確かです。でも次のステップも必要です」
「ドナネマブの後継の品目としては、やはり日本で発見されたタイプのAβを標的とする抗体医薬の候補品の開発も進めています。現在第3相臨床試験が行われていますが、より高いレベルでプラークを削減できる可能性があります。Aβという標的に対しては、この候補品があればもう十分かもしれません」
「しかし、やはりアルツハイマー病の人の脳内に凝集が見られるタウたんぱく質に対しても薬が必要だと考えています。そこで、タウたんぱく質を標的とした候補品の開発に取り組んでいます。これまでに抗タウ抗体を試しましたがうまくいかず、低分子の候補品もうまくいきませんでした。現在は、タウたんぱく質を標的とする遺伝子治療薬を開発しています。脳内でタウたんぱく質をつくり出す遺伝子をオフにすることで、タウたんぱく質のもつれが形成されたり、凝集体が成長したりするのを妨げる薬です。私は楽観的なので、将来、この候補品がAβを低下させる薬を補う存在になると考えています」
(日経ビジネス/日経バイオテク 橋本宗明)
[日経ビジネス電子版 2024年11月13日の記事を再構成]
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