ユニチカ大阪本社が入るビル(大阪市中央区)

ユニチカは28日、不振の繊維事業から撤退すると正式に発表した。2025年8月までに他社への事業譲渡などで合意をめざす。経営再建に向け官民ファンドや三菱UFJ銀行など取引銀行から債権放棄を含め870億円の金融支援を求めた。調達した資金は撤退に伴う費用や力を入れるフィルムの販売拡大に充てる。135年に及ぶ祖業に幕を下ろす。

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撤退するのは衣料用の繊維事業や不織布、産業繊維などで、売上高の4割にあたる。機能資材事業のガラス繊維や活性炭繊維は続ける。

金融支援の枠組みは、官民ファンドの地域経済活性化支援機構(REVIC)から第三者割当増資と融資枠の設定で約350億円を確保する。三菱UFJなど取引銀行には約430億円の債権放棄を要請し、メインバンクの三菱UFJからは90億円の融資枠の設定を受ける方向だ。REVICから得る出資金のうち、140億円を撤退費用に使う。

ユニチカの25年3月期の連結最終損益は103億円の赤字(前期は54億円の赤字)を見込む。今後は食品包装用などのフィルム事業を収益の柱に育てる。足元では東南アジアで市況が悪化しており、インドネシアの生産設備の停止などを進め採算を改善させる。30年3月期までに売上高700億円、営業利益65億円へ回復をめざす。

ユニチカは1889年に尼崎紡績として創業し、他社に先駆け高級糸である中糸の生産を始めた。1918年以降は大日本紡績として鐘淵紡績(後のカネボウ、現クラシエ)、東洋紡績(現東洋紡)と並ぶ三大紡績の一角を占めた名門企業だ。最盛期には兵庫県尼崎市に甲子園球場15個分の敷地を持つ工場を構えた。

繊維産業は明治期から戦後の復興期、高度成長期に至るまで基幹産業として国内への製品供給だけでなく輸出も伸ばした。繊維産業で進んだ機械化が自動車産業などの礎ともなり、日本経済を支えた。その一翼をユニチカも担ってきた。

足元の業績をみると、2024年3月期の連結売上高は1183億円で、内訳は衣料用の繊維事業が330億円、不織布などの機能資材事業が342億円、食品包装用フィルムなどの高分子事業が511億円だった。高分子は6億円の黒字だが、繊維と機能資材はそれぞれ5億円と24億円の赤字だ。

00年代ごろには中国などからの輸入品が増加し、国内の人口減少も重なって市場に吹く逆風は強まった。ユニチカは09年に不採算だったナイロン長繊維から撤退した。14年には三菱東京UFJ銀行(現三菱UFJ銀行)などから375億円の金融支援を受け、佐賀工場を閉鎖するなど構造改革を進め、事業を縮小しつつも衣料繊維は続けてきた。

結果として、繊維事業の慢性的な営業赤字を脱せなかった。新型コロナウイルスのまん延に伴い、医療用ガウン向けなどの需要が生じ回復の兆しがみえたものの、赤字は続く。生産拠点の海外移転でコスト削減を進めてきたが、足元の円安は原材料高などを招き、25年3月期も10億円の赤字を見込む。

繊維事業以外には事実上、食品包装用フィルムを中心とする高分子事業しかない。撤退を含む抜本的な改革への費用捻出も難しかったことが撤退に踏み切れなかった理由に挙げられる。高分子事業も東南アジアの生産設備で106億円の減損損失を24年4〜9月期に計上した。

他の繊維大手は新たな収益事業を育て、多角化につなげている。東洋紡は工業用などのフィルムや自動車用高機能樹脂などの環境・機能材が営業利益の大半を占める。旭化成は住宅やヘルスケア事業も収益を支える。東レは炭素繊維、帝人はアラミド繊維など、産業用途の付加価値が高い繊維で競争力を確保している。

今後、REVICが筆頭株主となり、再建を支える計画だ。取引行も債権放棄などを柱とする金融支援に合意するとみられる。繊維事業から退く一方、高シェアの食品包装用フィルムなど高分子事業に経営資源を集中し、立て直しを急ぐ。

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