壊れた護岸の脇に立つ泊一夫さん。海水が侵入し水田だった場所は沼と化した。奥は近隣住民の家=10月13日、石川県穴水町

 能登半島地震で奥能登地方のコメ(水稲)作付面積は4割減った。発生から10カ月余りたっても復旧は進まない。石川県穴水町の甲(かぶと)地区では護岸が崩れ、宅地と田んぼに海水が浸入した。農家の泊一夫(とまり・かずお)さん(76)は町を通じて再整備を求めたが、国の動きは鈍く着工のめどは立っていない。「目の前の課題を解決せずして復興はない」と話している。(共同通信=浜谷栄彦)

 石川県によると、輪島市、珠洲市、能登町、穴水町で構成する奥能登地方で昨年作付けされた面積は2800ヘクタール。土砂崩れや津波によって震災後は1800ヘクタールに縮小した。さらに今年9月下旬の豪雨で冠水した950ヘクタールのうち半分近くに土砂、がれきが流入。苦境続きで再開を断念する農家が後を絶たない。

 泊さんは、入り江に面した甲地区にある築100年の家に住んでいたが、全壊と判定されたため7月に解体。穴水町主催の会合で護岸工事を繰り返し要請してきたが、国から明確な回答はなかった。「海水が容赦なく入ってくる。自宅を解体し更地にしたら地面がぐちゃぐちゃだった」

 約100メートル離れた仮設住宅で妻ひろ子さん(75)と生活する。自宅前に所有する水田は津波で泥が堆積した。現在も護岸の崩壊部分から海水が流れ込み一帯は沼のようになっている。

 近隣住民もこのまま住み続けられるのか心配しているという。「高齢者が大半を占める集落の復旧に税金を使うのは無駄だと思っているのではないか」。国の姿勢に疑問を感じつつも農業をやめるつもりはない。

 東京で暮らす孫が5月に帰省し、泊さんが別の場所に持つ水田で田植えを体験した。「家族が正月や盆に帰ってほっとできる場所を残したい。能登にはそれだけの魅力と価値がある」。里山里海の幸に恵まれた故郷を次世代に引き渡すのが役目と心得ている。

津波被害を免れた水田で、孫と田植えをする泊一夫さん(中央)=5月、石川県穴水町甲地区
石川県穴水町の甲地区

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