良質な睡眠を求めて旅をする「スリープツーリズム」が世界的に注目されている。
スリープツーリズムとは、良質な睡眠を得るための旅行。プランは不眠症や寝つきが悪いなどの睡眠障害に悩む人や疲れている人に向けたものとなる。寝具や空調、室温といった睡眠環境はもちろん、適度な運動や食事、リラックスするためのヨガなどのアクティビティーが含まれる。
世界的に深刻化している睡眠障害を背景に市場は拡大。海外の調査会社によると、全世界の市場規模は6400億ドル(約96兆円)との試算もある。市場は宿泊施設に加え、マッサージやヨガといったサービス業、睡眠に特化したクリニックなどに広がっており、今後も拡大が予想されている。
例えば、米ハイアット・ホテルズ・コーポレーションが米ニューヨーク・マンハッタンにある五つ星ホテルに睡眠に特化したスイートルームを設置。室温や光、寝具、香りなどにこだわるほか、人工知能(AI)も駆使して快眠を提供する。
インバウンド(訪日外国人)の増加や新型コロナウイルス禍で健康意識が高まったことを受け、このスリープツーリズムの波が日本にも押し寄せてきた。その一例が「睡眠プラン」の提供だ。
ヒルトン東京お台場(東京・港)は2023年4月にサウナや「リカバリー(疲労回復)ドリンク」「リカバリーウエア」を提供するプランを期間限定で販売した。チェックイン後、まずはホテル内のサウナで代謝を上げ、たんぱく質などを補給できるドリンクを飲む。部屋では、特殊な繊維が血行を促進するリカバリーウエアを身に着け、夜はぐっすりと眠る――という流れだ。
価格は朝食付きで1室2人6万円から。約3カ月間提供したところ、期間中はホテル全体の客室平均単価を大幅に上回ることができた。今後、エグゼクティブルームやスイートルームにアメニティとしてリカバリーウエアなどを置くことを検討している。
コラボしたのは睡眠関連商品を手掛けるTENTIAL(テンシャル、東京・中央)。累計販売枚数が30万枚を超えているリカバリーウエア「BAKUNE(バクネ)」シリーズを提供した。テンシャル担当者は「ヒルトン東京お台場とのコラボ以降、他のホテルからの問い合わせが増えている」と話す。
睡眠プランの販売は全国的に広がっている。
札幌プリンスホテル(札幌市)も、24年2月からテンシャルと協業して睡眠に特化したプランの販売を開始。テンシャルのパジャマやまくら、マットレスを提供する。英系ホテルチェーン、IHGホテルズ&リゾーツが手掛けるvoco大阪セントラル(大阪市)は寝具メーカーと出版取次会社と協力し、読書をテーマにした睡眠プランを販売する。いずれも期間限定の取り組みだが、各ホテルは需要の高まりを受けてサービス内容を試行錯誤している。
スリープツーリズムは高級ホテルに限った話ではない。カプセルホテルながら、睡眠で独自の価値を生み出しているのがナインアワーズ(東京・千代田)だ。
カプセルホテル、健康管理が宿泊動機に
ナインアワーズはカプセルホテルを中心に、全国に4000室を保有し、宿泊客は年間120万人ほどいるホテル運営会社だ。同社のカプセルホテルはすべてシングルルームで、体を360度包む筒状となっており、睡眠データが収集しやすいことに着目。宿泊客に健康状態に関するリポートを提供するプランを導入している。
現在は360室で睡眠データ収集に対応。データ収集に合意してもらった上で、宿泊客の頭上の赤外線カメラと集音マイク、マットレスに設置した体動センサーで、体動やいびき、寝顔などを測定する。睡眠リポートでは無呼吸になった回数や時間、不整脈、中途覚醒の回数などに加え、不眠症の可能性まで分かる。松井隆浩最高経営責任者(CEO)は「この睡眠リポートが欲しくて泊まりに来る人も少なくない」と話す。
利用件数は年間10万件ほど。利用者は20〜50代のビジネスパーソンからインバウンドまで幅広い。21年12月からサービスを開始し、すでに100カ国以上の宿泊客のデータが集まっているという。
リポートは英語でも提供しており、健康診断の資金負担が重い国の人には特に喜ばれるという。松井氏は「医療的に睡眠データから分かることは多い。疾病予防にも生かしていきたい」と話す。アジアや欧州を中心にホテルの出店依頼も増えており、睡眠データへの関心が世界的に高いことがうかがえる。
奄美空港(鹿児島県)から車で約2時間走った奄美大島の最南端。生活音の聞こえない大自然の中にホテル「THE SCENE(ザ・シーン)」はたたずんでいる。
運営するのは、体質改善や疲労回復を目的としたストレッチ専門店「ドクターストレッチ」を展開するnobitel(ノビテル、東京・新宿)。ここは単に俗世から逃れるためのリゾートホテルではない。良質な睡眠を起点としたウエルネス(心身の健康)を意識した滞在プランを提供する。
ノビテルはドクターストレッチのほか、サプリメントなどの健康食品、寝具の販売を通じて健康的な習慣づくりをサポートしてきた。このホテルはそれらの知見の集大成として、運動、食、睡眠すべてを体験できる場にしている。滞在中は大自然を見ながらヨガをし、健康的な食事を取り、海でウミガメと泳いだりできる。1日のアクティビティーを終えて、部屋に戻ってゆっくり休むことで心身の癒やしを促す。
この「快眠体質プラン」は2泊3日で1人11万円からと決して安くない。それでも30代後半から40代の女性を中心に利用者は多いという。マーケティング事業部執行役員の竹内大介氏は「旅慣れしている人たちが観光地を巡る旅から、ウエルネスを意識した旅へとシフトしている」と話す。
立地の良さや設備・内装の豪華さを売りとする大都市のラグジュアリーホテルと異なり、ザ・シーンは「大自然、運動、食事、快眠などといった無形のラグジュアリーを提供することで差異化を図っている」(竹内氏)。
奄美大島に限らず、日本の地方に広がる豊かな自然は、快眠や癒やしと相性がいい。キャンプやグランピングも内容によっては「スリープツーリズム」に含まれる。睡眠という行為だけではなく、その前後の活動を含めてプランにすることで、市場の幅は大きく広がるわけだ。
同時に大都市では味わえない体験価値がスリープツーリズムと結びつき、さらに価値が高まる――。スリープツーリズムは地方の観光資産をアップグレードする可能性も秘める。
(日経ビジネス 藤原明穂)
[日経ビジネス電子版 2024年2月29日の記事を再構成]
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