5月10日に亡くなった住友金属工業(現日本製鉄)の元社長、新宮康男氏のお別れの会が30日、大阪市北区のリーガロイヤルホテルでしめやかに行われた。関西経済連合会の会長も務めた故人をしのび、関西の経済界や製鉄会社の関係者ら約700人が参列した。1950年代に住友金属工業から出資を受けたダイキン工業からは親交のあった井上礼之名誉会長らが出席した。
会場では幼少期から晩年に至るまで、新宮氏の98年間に及ぶ人生を振り返る写真が飾られ、参列者がそれぞれの写真を指さしながら思い出話に花を咲かせた。
住友金属工業が新日本製鉄と合併する前の社長だった友野宏氏も参列した。新宮氏と直接やりとりした経験は少なかったものの、関経連の会長を務めた経歴にも触れながら「関西経済に大きな貢献をされた」と振り返った。
「多くの人に好かれていた。フラットで誰とでも対等の立場で対話する人だった。ダイキンにとっても本当に恩人の一人だ」。ダイキンの井上氏は故人をしのんだ。お別れの会には井上氏に加え、十河政則会長や竹中直文社長も出席した。
連結売上高4兆円のグローバル企業に成長したダイキンにとって、住友金属工業は会社そのものが「恩人」にあたる。戦後間もない50年ごろ、一時的に資金難に陥ったダイキンに出資という形で手を差し伸べたのが住友金属工業だった。井上氏は「振り返ってみると、ダイキンは住友金属のおかげで成り立っている」と指摘する。
2000年代ごろに大株主ではなくなったものの、重要な取引先として親交は深いままだ。なかでも新宮氏は井上氏との絆が強く、歴史を振り返りながらダイキン関係者に「大きな会社になったなあ」と感慨深げに語っていたという。
ダイキンが毎年春に沖縄で開催する女子プロゴルフ大会「ダイキンオーキッド」には招待客として十数回にわたって来場し、ゴルフを楽しむかたわら趣味のマージャンに興じていたという。ダイキンオーキッドの事務局でトップも務めた十河氏は「楽しい記憶ばかり」と振り返った。
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