大阪・関西万博での運航を計画している水素で動く旅客船のイメージ

 創業者の岩谷直治(いわたに・なおじ)氏が1930年に大阪市で酸素や溶接棒などを扱う商店を創業したのが起源となる。太平洋戦争後、国内で初めて家庭用プロパンガスの全国規模の販売を始め、飛躍のきっかけとなった。一般消費者には卓上カセットこんろやボンベでもおなじみだ。(共同通信=出井隆裕記者)

 島根県出身の直治氏は神戸の運送店での奉公を経て、夫婦2人で商店を立ち上げた。戦争末期の1945年に岩谷産業に改組したが、本店は空襲で2度にわたって焼失した。

 1952年に直治氏が「イタリアではプロパンガスをボンベに詰めて家庭用の燃料として使用している」と知り、翌年に販売を開始。当時はプロパンガスを知る人が少なく、宣伝カーを走らせて普及に努めた。ブランド名は「マルヰプロパン」を採用。1969年には初代の卓上カセットこんろの販売を始めた。

 戦前から工業用に水素の販売を開始し、現在は国内トップシェアだ。近年は燃料電池車向けの水素ステーションを各地に設置し、2025年開催の大阪・関西万博では水素で動く旅客船の運航を計画している。

「マルヰプロパン」のガスボンベ
太平洋戦争後に使われた本社社屋=大阪市
1969年発売の初代の卓上カセットこんろ
創業者の岩谷直治氏
燃料電池車のための水素ステーション=兵庫県尼崎市

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