星野リゾート(長野県軽井沢町)の成長を振り返るとき、「再生」の視点は欠かせない。軽井沢の温泉旅館からスタートした同社の星野佳路代表は、軽井沢での経営改革の手法を全国の再生施設にも生かしながら実績を積み上げ、その後の飛躍へとつなげた。
多くは施設ごとのいわば「点」の再生だったが、長門湯本温泉(山口県長門市)では星野リゾートが作成したマスタープランをベースに温泉街全体の「面的」な再生に着手。エリア外からの大型投資も決まり、新たなフェーズを迎えている。
長門湯本温泉は約600年の伝統を持ち、同県北西部の山あいにある。高度経済成長期から団体客を中心に集客を伸ばし、1980年代にはピークを迎えた。しかし、旅行需要の変化によってそれから30年ほど集客が落ち込み、宿泊客数は2010年代にかつての半分ほどに減少。14年には約150年の歴史を持つ老舗ホテルが廃業となった。
温泉街を再生したい長門市からの委託で、星野リゾートは16年に再生のマスタープランを作成。プランでは、駐車場を温泉街から離し、このエリアを流れる川に沿った歩道を広げたり川床をつくったりして、個人客やインバウンド(訪日外国人)が「そぞろ歩き」をできる街づくりを打ち出した。
マスタープラン策定にあたり、星野リゾートは「全国温泉地ランキングトップ10に入る」目標も盛り込んだ。当時の長門湯本温泉は86位であり、目標との差は大きかった。「それくらいまで伝えないと本気度が伝わらなかった」と星野氏は振り返る。
「全国温泉地ランキングトップ10入り」の目標は、実は星野氏にとって自らが提唱する「ステークホルダーツーリズム」とつながっているという。
ステークホルダーツーリズムとは、地域の全ての関係者が地元の観光業からフェアなリターンを得るためのモデルづくりを進めることを指す。米ハワイやニュージーランドなど世界の先進的な観光地ではこうした取り組みが進む。
この観点から星野氏が長門湯本温泉の面的再生にあたって打ち出したのが、持続可能な競争力確保に向けた「6つの重要業績評価指標(KPI)」であり、温泉地ランキングもその1つだ。他には「一室当たり売上高(RevPAR)」「投資創出」「生活者関与度」「社員の満足度」「メディア露出量」があり、6つのKPIに基づいてフェアなモデルづくりを目指す。
なぜ、この6つのKPIがステークホルダーツーリズムとつながるのか。
経営学の「プロダクトライフサイクル理論」は、企業が製品やサービスを市場に導入してから撤退するまでのプロセスが「導入期」「成長期」「成熟期」「衰退期」とたどり、それぞれの段階に応じた戦略を示すが、星野氏によるとこれは観光業にも当てはまる。
星野氏は「観光業は従来、入り込み数を基準にしていた。しかし、それだけではやがてプロダクトライフサイクルの衰退期に入り、競争力を失うことが明らかになっている。実は6つのKPIはプロダクトライフサイクルの先行指標になっており、これを通じて観光がさまざまなステークホルダーにとって、よい方向にいっているかどうかが分かる」と説明する。6つのKPIは星野氏が1991年に経営を引き継いでから意識してきたことをまとめているといい、これまでの星野リゾートによる旅館やホテルの再生に生かしてきた。
星野リゾート案をベースに長門市はまちづくり計画を策定。かつてのにぎわいを取り戻したい地元の旅館の後継者も加わり、覚悟を持って取り組んだ。また面的な再生を進めるには、観光業以外にもその意義を理解してもらう必要がある。このため道路の活用や夜間照明などについて「社会実験」も実施。2020年にはインフラの整備が進み、歴史ある公衆浴場の「恩湯」は地元の若手経営者らによって建て直されリニューアルオープン。星野リゾートも温泉旅館の「界 長門」を開業した。
長門湯本温泉では旅館組合などの出資で20年に「長門湯本温泉まち株式会社」を設立。同社もマスタープランに示された6つのKPIの下、入湯税の一部を原資にしながら温泉街をマネジメントする取り組みを進める。同社エリアマネージャーの木村隼斗氏は「当社の運営は外部評価による透明性と同時に、6つのKPIによる客観性を確保しながら進めている」と話す。木村氏は経済産業省から長門市役所に出向になったことを契機に長門湯本温泉に関わり、現在は同社に入り本格的に取り組む。
星野リゾートの界長門でも、6つのKPIに沿って施設としてできることを目標に掲げ、さまざまな取り組みを進める。
「甲子園を目指すから成長する」
羽毛田実総支配人は「エリアに貢献しながら施設として運営を成り立たせていくことが大切。滞在価値を上げる打ち手を6つのKPIに落とし込む」と説明する。23年の客室稼働率は約8割となっており、マイクロツーリズム市場を固めながら滞在の魅力を高め、将来的に東京や大阪など大都市圏からの集客も増やす考えだ。
インフラの整備が進み、長門湯本温泉まちによるイベントやSNSなどの発信が成果を上げる中、これまでにバーやカフェができた他、山口の名物である「瓦そば」の専門店なども進出している。
有賀敬直氏はこのエリアで、クラフトビールの醸造所「365+1 BEER(サンロクロクビール)」を21年にスタートした。当初、コンサルタントとして再生に関わり、やがてこの地の魅力に引かれて移住し、コンサルタントなどとの兼業で醸造所を立ち上げた。
「地方だからと適当にやるのではなく、地方だからこそ質にこだわることが大切」と有賀氏は話す。「街には適正な事業規模があり、ここでは大企業よりも従業員3人の会社が100社できたほうが面白い。小さい事業者が増えていけば、いろいろな選択肢が増え、よい街になっていくはずだ」と期待する。エリア内は川沿いをそぞろ歩く若者の姿も目立つようになってきた。
温泉街全体の集客数はまだ新型コロナウイルス禍前に戻っていないものの、エリアの魅力の高まりによって個人客が増加したことで収益性が向上。全体の事業規模は再生に入る前を上回るところまできている。長門湯本温泉まちの木村氏は「星野さんも専門家メンバーも関わってくれ、そして何よりも地元のプレーヤーがチャレンジをして今も継続して汗をかいてくれている」と話す。
次のフェーズに向けて、大型の投資案件も動き出している。東京や広島で宿泊施設の運営などを手掛けるStaple(広島県尾道市)は山口フィナンシャルグループ(FG)などが設立したファンドと共同で旅館再生の新会社を設立。閉館していたこのエリアのホテルを全面改装し、25年に新施設として開業する。
地元では「競合が入ってくる」と警戒する声もあったが、エリアの盛り上がりにつながることから「プラスになる面が大きい」と歓迎ムードが強い。長門湯本温泉まちの木村氏は「ビジョンを共有する新規のチャレンジをさらに促進したい」と話しており、新たなプレーヤーの参入によってエリアの魅力を高める動きを加速できるかどうかがポイントになる。
長門湯本温泉は最新の温泉地ランキングで29位まで上昇している。ただ、星野氏が掲げた「10位以内」は有名温泉地がひしめき簡単ではない。界長門の羽毛田氏は「甲子園を目指さないで野球をするのと、本気で甲子園を目指しながら野球するのとは違う。本気で目指すところから始め、自分たちの成長につなげたい」と強調する。
観光地の面的再生の取り組みは全国的にも珍しいが、星野リゾートは北海道弟子屈町の川湯温泉でも同様の取り組みを進めており、今後の動向に注目が集まる。
(日経ビジネス 中沢康彦)
[日経ビジネス電子版 2024年4月4日の記事を再構成]
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